心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者を賞賛したってどうにもならない

自己愛性人格障害者とは?」とか、「DVやパワハラの被害者はどうすればいいか?」なんてタイトルの文章の中に、「賞賛して自己顕示欲を満たしてあげましょう!」とか「賞賛してご機嫌を取ります」なんて書いてあります

 

でも、そんな事ターゲットになってからしたところで何も変わらないんじゃない?って思います

 

自己愛性人格障害者は基本的には賞賛される事を喜びます

 

やっぱり特別だし自分は凄いって思える時は、きっと優越感である意味興奮状態になってるのでは?と思うほど、声も大きくなります

 

ターゲットになった人の心は、自己愛性人格障害者から見たら全てを自分と同期します

 

自己愛性人格障害者が劣等感でイライラしてれば、ターゲットがどんなに賞賛したってターゲットは自分を映す駄目な人

 

そんな人に賞賛されたってバカにされたと思って、貶す

イライラをぶつけるだけ

 

気分が物凄いよかったら当然だと思うだけ

 

別にターゲットに賞賛されたからって気分が上がる訳じゃ無いし、認められて嬉しい訳でも無い

 

だって、ターゲットには崇められて当然だし、自分より遥か下なのだ

 

上の人に認められれば嬉しいけれど、下の人に認められたって嬉しく無い

 

被害者が何とか出来る方法を模索してそこに行きついても、被害者がなんとかする方法なんてもう無い

 

いつかその人を振り回す理不尽な動言を被害者である自分がなんとか出来るかもなんて思っても難しい

 

結局、被害者も放置…

 

他で迷惑を掛けても放置…

 

死ぬまで放置…

 

ある程度の功績を得て、素敵に輝く時代もあるけれど、そこにすがって我が儘放題生きてくれればいいとなる

 

程度の問題だから、ある程度を越えなければ害にならない時もある

 

なんて思うしかない

 

被害者は、もう自己愛性人格障害者に吸収されてしまった後だから、中から何をしても何を言っても、何の意味も持たないし、何にも出来ないのだと諦めて生活するしかないのだ

 

それが嫌なら、さっさと分離する事

 

居心地がいいならそのままでいいと思う