心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者は家族を争う

女性の自己愛性人格障害者の親子が二組いると、たいてい子供の出来を争う

うちの子の方が凄い、可愛い、いい子、可愛い服を着せられるとかいい学校に通わせられるとか成績が良いとか…

随分細かい事ばかりを競う

でも、それだけじゃない

旦那の協力を片方が仰ぐと、もう片方の旦那が出てくる

うちの旦那はできるのよ!と何かアピールをするために連れてくる 子育てに参加している旦那をアピールする

そうか、旦那も必要か…

お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも片方が話に出せば出てくる

一体何なんだ?

家族は自己愛性人格障害者のアイテムのようだ

いい家族だとレベルアップするのか?

いい家族ってなんだ?

見ているとそんな疑問も湧いてくる

いっそ、空想のカッコいい旦那でもいいのかも

それに付き合う旦那も凄い

家では「あの旦那は休みをとって子供の参観日に来るのよ、あなたもその位出来なきゃ父親としてどうかと思う」とか言われてるのかな?

そんなに優しい言い方ではないのかな?

「出来なきゃ父親としてどうかと思う」なんて下りはよく使うだろう あと「子供の事を思ってるなら〜」とかも自己愛性人格障害者の得意なフレーズだ

やらないからって子供の事を思っていない訳では無いけれど、子供の事を思っているか思っていないかの選択になってしまって、やってあげたいかそうでないかの選択にはならない

子供の事を思っていない父親にはなりたくないと思って、やってしまう選択を取らざるをえないのが現状なのかもしれない

アイテムに意思なんて無い

おとなしく言う事を聞いていればいい

自分のレベルが上がるようにいい感じで居てくれていざという時は相手のアイテムと戦えればいい

勝てれば自己愛性人格障害者のレベルアップに繋がる

そんな感じだろうか?

変なの