心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者の子供への目標の立て方

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自己愛性人格障害者は、子供を支配している場合、何でも目標を立てる

 

具体的には「〜ちゃんに勝つ!」「90点以上を取る」とか

 

でも、たいてい「〜ちゃんに勝つ!」なのだ

 

勝てたら勝てた相手はバカに出来る

年上だろうが、顎で使える

 

でも親は勝ったのに「勝てて良かったね」ってはならない

 

勝てたら、その場で目標は90点に早変わりするのだ

 

これ、親子でいると親も子も一緒にそう思う

 

「目標には届かなかったから悔しい」とか、「あっちの人には負けた」とかすぐさま別の目標を作って、勝てなかった事や出来なかった事を自分にも子供にも知らしめる

 

親に褒めてもらおうと頑張るのに、親の思いを組もうとするので親の思いはもっと上だろうと探し続けてしまうのだ

 

「あー、お母さんに怒られる」「お母さんに褒められる」って成績や結果を見て思う人は要注意だ

 

 

私はどうだろうと考えると…

 

子供達が自分で「バカにしてくる相手は勝って黙らせたい!」って言っている時はある

 

「おおー頑張れ!」ってなる

 

でも、結果は結果として受け止める

 

出来なかったら、何で出来なかったのか?心残りはなかったのか?

 

思っているより出来たら何で出来たのか?自分の実力への見積もりが甘かったのか?それとも何かに気をつけたから出来たのか?

 

結果が出た時点では、もう誰に勝つ負けるは付属で、結果に行くつくまでの過程を自分なりに考えて出来たかどうかを子供達と話すかもしれない

 

テストに緊張したなら緊張した原因を突き止める

 

勉強出来てないのに、実力以上の力を出さなきゃいけないと思うと緊張するかもしれない

 

いつも通りではどうにもならない時は、上手くやろうとして頭が真っ白になるかもしれない

 

上手くいったなら常にその力を出せるように、良かった原因を見つけて「きっとあれが良かったよね」と言えば、子供達は自分の行いを省みてそれをルーティンにするかもしれない

 

親に怒られるとか親に褒められるなんて、どうでもいいと我が子達は思っていると思う

 

成績が良かったら褒める事は普通だけど、成績が悪かった時に怒るって無い

 

成績が悪い時に怒る意味が良くわからない

 

自己愛性人格障害者の様に出来たら我が子で、出来なければプリプリしてると、子供は出来ないと親に見捨てられるなり悲しい

 

兄弟がいるとそれが顕著に出て、本当に惨めだ

 

おまけに今回勝っても、勝ち続けない限りその親の思いには答えられない大きなプレッシャーにいつも追いかけられているようで息切れしそうだ

 

あの目標の立て方の餌食になると、ほんと気分が悪くてしょうがない

 

さっさと違う次元に行って欲しいなと思う