遠回りしたと思ったら物凄い近道、新しい道?
自分がイバラの道を歩いていると思っていても、それが本当にイバラの道かは分からない
物凄い遠回りだと思っていても、それが本当に遠回りかなんて分からない
とんでもない道を選んでしまったと思ったら、あっという間に行きたい場所にたどり着いてしまう事もあるかもしれない
誰かが歩いた道は、だいたいの距離が分かるから到着時刻も分かるけど、新たな道は近いか遠いかも、どこに向かっているかも分からない
きっと、本当は人生って誰も歩いた事のない道を一人ひとりが歩いていく物なんだと思う
なのに、自分の道もままならない親が、子供の人生を心配して、皆が通る安全な道だと思われる道を歩かせようとしてるのかもしれない
その子供の道が安全かどうかなんて分からないのに…
安全だと分からないから、皆が選ぶという何となく安全そうな、何となく人から正しいと言われそうな道を歩かせるのかもしれない
他者評価が重要になってしまうのはそんなところなのかもしれない
自分の道が正しいかなんて誰も分からない
皆が行く道が安全かも分からない
だからこそ、自分の考えをもって自分の信じる道をガンガンと進める子供達が育って欲しいと思う
自分も、今の道が遠回りかどうか正しいかどうかより自分が信じれる道かどうかに重きを置いて、いつでも新しい道をズンズンと進んでいきたいなと思う
子供達が悩んでも、前に進める時が来れば良しとしたい
きっと、新しい道はいつでも不安で力もいるし時間もかかる
そんな物だと思えば、立ち止まっている他人や子供を見ても、イライラしなくなりそうだ
ただ、この考え方、自己愛性人格障害者の溺愛や過保護は見れないな〜
一長一短だけど、自分自身の落としどころは良さそうだな