心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

つまらないけど面白い人の正体が分かったら

f:id:pilatesno-1:20210209231124j:plain前回「物凄くつまらないけど面白い人」を書いたけど、結局正体分からず諦めた

でも、色々調べたら何となく分かってきた

そもそも「つまらない人」とは、人間的につまらない人の事を言うらしい

何にもチャレンジしなかったり、人の悪口ばかり言ったり、未来を語れない後ろ向きの人達を総称する言葉なのかもしれない

もちろん、話がつまらないなんていうのも入る

そもそも、私のであった人は「面白い人」だった

人間的にも魅力的で素敵な人だ

話がつまらなかった訳でもない

話し方がつまらなかったのだ

話し方が物凄くつまらないけど魅力ある人だったのだ

でも、話し方ってなかなか改善出来ないものなのだろうか?

話しがつまらないと思うのは、話す相手とのリズムが合わない事や抑揚の無さが大きい

それって相手を思う事

それと同じ様な事に、共感性が高いと自分と同化出来て引き込まれるような話し方が出来るそうだ

私の会った「つまらないけど面白い人」は共感性が高い人だった

でも、話す相手とのリズムや温度を合わせる事が全く出来ていない

抑揚も無い

共感性はありそうだけど、人に合わせる事が出来ない人なのかもしれない

それって混在出来るものなのだろうか?

結局、よくよく付き合ってみたら共感性の無い人なのだろうか?

人に合わせる事が出来ないのではなく、あえてしないのだろうか?

まあ、どちらにしても一人の中で両方を存在させる事の難しさがハンパない

バラバラにしてみると、案外人って単純で矛盾が見えればその人の正体を見るのは簡単

なのに同じ様な事が出来ない

これ、経験した事がある

「自己評価が低い訳ではないけど自分に自信が無い」とか、「注意力散漫だけど注意過多」

自閉症スペクトラムとかに多い

分かりにくいのでどれをとればいいのか分からず、家族としては悩む

都合良く取ってしまってはいけないと思いつつ、理解したいので結論付けたくなる

もしかすると、本人もどうして出来ないのか分からないのかもしれない

逆方向を向いている同じベクトルが自分の中にあるような物かもしれない

生きにくい原因の一つかもしれないし、根源かもしれない

世の中一筋縄ではいかない人って沢山いるものだ

理解して片付けたくもなるが、片付かなくてもそれがその人だと思って距離を置いて接すれば、細かいことまで理解しなくても処理できるのかもしれない

色々な疑問をもつという事は、その時点で人との距離が近過ぎなのかもしれない

分からなかったら、少し距離を置いて、それでいいか!って思ってあげると気にならなくなる

人との距離を保つってそんな事なのかもしれない

家族に、変わった人がいるとしんどくなるのは、きっとそんなところだ

家族でも、ちょっと距離を置いたら格段に楽になるかもしれない

まさかそんな結論に落ち着くとは思わなかった

つまらないけど面白い人が教えてくれた事は、やっぱり面白い事だった

ちなみに自分の場合はどうしよう! その矛盾を楽しむ事が出来れば最高かもしれない