心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

結婚を許さない父の気持ち

結婚をなかなか許さないお父さんって今はそんなにいないのだろうか?

今回、子供の将来について考えたり、子供との対応をしていたら、ちょっぴり結婚をなかなか許せないお父さんの気持ちにリンクした

そもそも、父と娘のコミュニケーションって酷い

世の中、夫婦でさえ言葉足らずでコミュニケーションが出来ていない

それなのに父と娘のコミュニケーションはというと、世代格差と男女差に、経験や社会性の有無など対極にあるような存在

周りは理解ある友達親子みたいのも増えているけれど、威厳とか父親の一言の重みが私は好きだ

我が家も、どちらかといえば父は寡黙、母の私はギャーギャーと話す

ちょっぴり周りとは違うかなと思うのは、私の論理的思考位かな

男の人は物事を論理的に考える

原因は何か?根拠は何か?目的は何か?その過程はどうか?確率はどうか?

なんて、社会に出れば当たり前の事を頭の中で考えてから動く

一方で、女性は動いてみないと分からないとどこかで思っている

もちろん、論理的に考える人も多いけれど、組立順所が何となく違う

私自身も充分論理的だなと嫌になることもある位だけど、男の人の思考とは明らかに違う

どんなに論理的でも男性よりももっと感情の動きに重きを置くのが特徴かもしれない

全てを決めてから動かず、要所を固めることで感情の入る余地や予定のズレにフレキシブルに対応する所が男性より女性の論理的思考の長けている所だと思う

感情が入らない事で予定がスムーズに進む事もあるし、感情が入った時の融通の利かし方で気持ちが爽やかに事が運ぶ事もある

どちらも一長一短だろう

それに比べ、子供の思考や社会に出ていない人は、この論理的思考がなかなかのスカスカ加減だ

社会性が無いとはこんな事をいうのかもしれないと思う位、その場の感情のみ

おまけに恋愛は勢いや気持ちばかりで感情的な物

その延長に有りがちな結婚だが目的は愚かゴールを誰もが知らない

幸せの形も人それぞれだし、目に見えそうで見えてもいない

そんな中で、結婚の目的を人は「幸せ」という形の無い物に設定する

そもそも形の無い物に目的を設定する事が男性は苦手

しかも、幸せの形というかなり世代格差や時代の違いがあるであろう物の想像がし難い

それを子供に求めるのは、本当に難しい

親を説得するのに、今の感情的な現実を冷静にも見る事が困難な状態がスタートラインの不明確さを露呈させるかもしれない

スタートも目的もあやふやな恋愛や結婚 世代格差に、コミュニケーション不足、頭の中の男女差など、かなり高いハードルを越える説得を要求されているのである

結婚を反対されている時に、それに気が付いて対応する娘がどこにいるだろう?

なぜ反対されたかは不仲になった時とかに気がつく人はいるのかもしれないが、我が子が結婚する時になっても気が付かないかもしれない

お父さんは、そのズブズブの原因や目的をなんとかクリアにしたい

もちろんその要求は結婚においてクリアになる事なんか無いので、お父さんの要求が叶うことはない

だからといって、お父さんを説得する事に意味がない訳ではなく、お父さんを説得する事で感情より現実に目を向ける事や、結婚する相手との絆や思いの確認が出来るだろう事は想像出来る

不確実な物が確実に向かう事にも意味がある

最近は、物分りのいい父親に、結婚式もしない

結婚のハードルは低くなるし、それと同時に離婚も多くなる

コミュニケーションの欠如を埋めるハードルが無くなれば、コミュニケーションの欠如での失敗は当然増えて来るのだろうと思う

昔の父親は、それを反対という形で埋めていたのかと思うと、家庭で振りかける子供の成長に欠かせない大きなスパイスが一つ無くなっているという意味で、人の成長が難しい時代なのもしれないなと感じた

それにしても、今回我が子の成長の過程とはいえ、ズブズブの中身に驚かされた

絵に描いたようなプレゼンの酷さも、もう笑うしか無い

体は成長したけれど、中身はまだまだ子供だなと改めて思った

まだ、我が子は今回の問題で主人を説得するハードルを越えてはいないけれど、ちゃんと越えてまたいつかこの経験を活かす所を見てみたいと思った