心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

「もしも」なんてない…

「もしも」って言葉を使う事が苦手だ

 

「もしもあそこを間違えて無かったら合格してたかもしれない」とか…

 

「もしも私の方が先に到着していたらあの先生に見てもらえたかもしれない」とか…

 

「もしも」なんて、世の中無い

 

その過去の「もしも」を考える時間がもったいない

 

「もしも」がないから不合格

「もしも」が無いからその先生には見てもらっていないのだ

 

ママコミュニティーの「もしも」「もしも」の傷の舐め合いもうんざりだ

 

現実から逃げても何も始まらない

 

間違えたら一生そこにチャレンジ出来ない訳ではない

 

間違えたら死んでしまうわけでもないなら、そこは諦めて次に失敗しなければいいと考えたい

 

とにかく、前を向きたい

 

仮に死んでしまう事になっても「もしも」で生き返るわけでもない

 

「もしも」「もしも」と言って、過去ばかり見て、自分の不甲斐なさに目も向けられない人が、次の目標に向かえる訳もない

 

どうせ「もしも」を考えるなら未来の「もしも」を考えるのはどうだろう

 

未来の「もしも」は無限だ

 

日々の選択が未来の「もしも」に繋がっているのだから、無限の可能性と思いを「もしも」で繋いで歩いて行くことが出来るはず

 

「もしも」の前で立ち止まらずに「もしも」の上を歩いて行けば、足元はもっと安定するのかもしれない