生死に関わる病気や余命宣告の意味は
こんなことを書くと、実際にそこに立たれている人達にふざけるなと思われるかもしれないけれど…
家族や大切な人が事故等で突然亡くなってしまうと、途方にくれる
今までの生活は突然の出来事にガラリと変わる
どんなに変化に対応出来る人だって、なかなか対応出来ないだろう
でも「余命宣告」を受けるような病気だったら、その宣告を受けた時、本人も家族も衝撃を受けるかもしれないが、いずれ生活が変わることを想定しながら日々を過ごすことが出来る
これって、生きている時間を大切に出来る素晴らしいアイテムを手に入れているのかもしれない
そりゃ、余命宣告なんて受けたくない
苦い薬も注射も点滴も手術もしたくなんかない
「元気で最後はパタンと死にたい」なんて皆言う
でも、考えてみたら余命宣告を受けたり生死に関わる病気になるって案外幸せかもしれない
そんなことがあったら確実に考え方は変わるだろう
日常が幸せに変わるのではなく、いつもの不幸せが幸せに変わるかも
今あるものに感謝じゃなくて、いつものイライラが感謝に変わるかもしれない
どんなに辛い現実だって、自分に起きたら受け入れるしかない
「生きるための痛みなら我慢するのかも?」「生きていたいのか生きたくないのかも選べるかもしれない」
「周囲はその人の事を大切に出来るかもしれない」
「バラバラな家族が集まるかもしれない」
まだそんなことを考えられない子供なら、親は自分の身体を同期しようとして考える
親なら子供の事を必死に考える
子供なら親に、親なら子供に、最大の愛情と時間を掛けるチャンスをくれているのかもしれない
それでも出来ない事もある
それでも許せない事もある
でも、そんな選択をさせてくれる時間を貰えたのなら、突然より後悔しない選択をとることが出来るのかもしれないなと思う
いつ死んでもいい生活を出来ていると信じていても、実際に余命宣告を受けたらいつ死んでもいいなんて思えないのかもしれない
今出来る事を、今の元気な身体で出来る時を大切にしながら楽しんで生きていきたいなと思う
いつか、誰かが周りから居なくなって落ち込んでも、周囲の力を借りてまた立ち上がれるような自分でありたい
なんてのも理想かもね
生きるも死ぬも、上がるも下がるも、元気も不調も、笑顔も泣き顔も裏表なんだなと思います