心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

皆が違うのってどんな感じかな

耳がいい人は、音をどのように聞いているのかなあと考えてみました

 

人の声も、聞く人が聞けば、深みのある声と言ったり、平べったい声とか言います

 

でも、そもそもそんな物全く分からない人もいます

 

耳がいい人は、よく聞こえているし、音の幅みたいな物が聞こえているのかなと思います

 

目がいい人が、ただ見えるだけではなく視野が広い事も条件になるような感じです

 

それから、目がいい人も耳がいい人も、聞いたり見たりしたものから感じ取れる風景や情緒なんかが人によって違うのかもしれないです

 

だから、芸術家は目で見たものや聞いたものの背景や思いも感じ取る事が出来て、芸術的な物から色々なことを感じ、感性が磨かれるのかもしれません

 

聞いたものや見たものからあまり何かを感じとれない人は、そういう物にあまり興味が沸かないし、そもそも聞こえていないし、見えていないのかもしれません

 

同じ音や物の中にいるにも関わらず、違う物を見て聞いているなんて、不思議です

 

皆、自分と同じ物が見えて聞こえているなんてあり得ないのに、人間はそう思っている

 

同じものも違う物に見えてしまうのに、隣と同じか?なんて考える必要ってないんじゃないかな

 

違う見方が出来て当たり前になれば、もっと自由になれる気がするのは私だけかな?