心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

人間関係も只より高い物は無い

人に何かをやってあげたりやってもらった時は、善意だしそもそも初めから利益を得ようと思ってやる人はそんなにいない

 

もちろん、自己愛性人格障害者は初めから利益を得ようと思っているけど…

 

それはさておき

 

善意でやってあげた事だけど、その裏には「今後も仲良くやっていきたい」とか「いつもお世話になってるから」とか、そんな気持ちが隠されている

 

着古した服をあげても、ありがとうだけでは済まない

 

と、実は私も子供達の服を何の見返りも無しにあげてしまっているので、人にそのお礼をとまで頭が働かなかった一人だ

 

でも、ちょっぴりお菓子位持っていかないといけないなと今は思う

 

何かをやってもらった時にはありがとうだけではなくて、100円のお菓子1つ添えるだけで心が伝わる

 

只でやってもらった物のお礼、これもお値段では無い

 

ただ、相手が自己愛性人格障害者の場合はお礼や賞賛を求めている

 

ただの物のお礼はある程度キチンとした物を求める

 

相手が自己愛性人格障害なら、例えば声をかけただけで、1000円程度のお菓子のお礼を求める

 

100円でいい人と1000円が当たり前の人がいる世界

 

どちらもやってもらった事はただだけど、その人に寄ってもらいたいお礼は違う

 

そのお礼をしなかった時は、その人はお礼を貰うのが当たり前と思っているので、そのお礼をしなかった人に対して、いい印象を持たない

 

人によっては悪い噂を流す可能性だってある

 

ただでやってもらって、悪い噂を流されたんじゃたまらない

 

だから、ただは怖い

 

 

ところで、なぜこんな話になったかというと、私達家族、色んな困難に合ったためか人の善意にかなり助けられて来た

 

感謝をしてもしきれないと思っている

 

でも、端々であの時もう少しお礼をしておけば良かったなと思う事はある

 

立場が逆になって初めて分かる事もある

 

あの時「安くあがって良かったわ」って思うんじゃなくて、「ありがとう」って何か1つ物を添えれば良かったって思う

 

そんな気持ちが尽きないのも「ただ」だからだ

 

相手に見返りを求めてしまうのも「ただ」だからかもしれない

 

 

感謝を忘れずに、適度なお礼を心掛けないといけないなと思う

 

善意って貰うのもあげるのも難しい!