心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

内田監督は自己愛性人格障害者だと思うけど…

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アメフトタックル問題

 

 

内田監督は自己愛性人格障害者であるとは思うけど、この前も書いたとおり自己愛性人格障害者のコミュニティーは皆被害者だと信じてやまない

 

皆が被害者だと訴えると、特に第三者委員会などが入って調査などをした場合は、喧嘩両成敗みたいな形になりかねない

 

自己愛性人格障害者が被害者だと何も疑わず訴える場合が多いため、そうだねって結論に落ち着いてしまう場合も多い

 

 

誰もが「監督がそう言うに違いない」とか「監督はそう思うに違いない」と思い、監督の意向という架空の意思を忖度しながら動くため、その指示に責任がついてこない

 

監督の意思と思いながら動く全ての人が架空の意思を監督の意思として、もちろん自分の意思も同化させて物事を進めていく

 

そこには監督の指示という実態はない

 

これを証明するのは皆無だろう

 

結局、被害者は泣き寝入りしなければならない場合がほとんどなのが、パワハラやいじめ

 

物凄いプレッシャーがかかるにもかかわらず、誰も責任が無い

 

三者委員会なんて何の意味もない

 

訴えて、それが認定されたりする物はごく一部で、やられっぱなしになる事がほとんどだ

 

だととしたら、子供や自分を守るのは第三者機関では無い

 

誰もが何の責任もなく自殺や犯罪にまで追い込んでしまうパワハラやいじめから救えるのは、本当は自分しかいない

 

本当に厳しい事だけど、他人や親はそれを支えたり見守る事位しか出来ないのかもしれない

 

それは加害者も被害者も一緒

 

宮川選手のような素敵なご家族でも被害者になるのだから、もしかしたら日本の理想の家族像は少し変化させないといけないのかもしれない

 

これからは確実に自己愛性人格障害者が量産されていく

 

自己愛性人格障害者が量産されないように、自己愛性人格障害者の理想の子供像が変化するような方法ってないのだろうか?

 

 

日本は、謙虚さの意味を履き違えた自己評価の低さも何とかしないと、量産された自己愛性人格障害者にあっという間に我が子を奪われかねない

 

自己愛性人格障害者を叩いても、何も始まらない

 

悪いのは自己愛性人格障害者に決まっているけれど、自己愛性人格障害者にいじめやパワハラを認識させてやめさせるなどそう簡単に出来ない

 

 

宮川選手は色々あったけれど、逃げる事が出来た

酷い選手だというレッテルも外し、これから生きていく道も出来そうだ

 

それが彼が愛された証拠であり、彼がこれからの人生を生きるための宝物になる

 

自己愛性人格障害者から逃れた人は、確実に何かを掴む

それを大切にして生きていけば、未来は明るいと思うし、乗り越えただけのものは手に入れられると思う

 

責任や実態の解明は本当に難しい

 

そこにこだわりたい思いも物凄く分かるけれど、どこかで諦めざる負えないのかもしれないと頭の片隅で思っておかないと、前を向いて進むことが出来なくなってしまうかもしれない

 

 

自己愛性人格障害者の量産を止めたい

 

何とかならないのか