先生にバラしたあんたが悪いのよ!
自己愛性人格障害者は、物事の良し悪しを自分の基準で考える事ができません 人(自分を良く評価してもらいたい人)の自分の評価が悪くならなければいいのです
だから、悪い事をするかしないか判断を下す時に、周りを見ます
誰かがしてればもちろん当然の様にします
見られては困る人に見られてしまったら「○さんがやったから注意しようと思って思わずやってしまった」なんて言い訳になる
誰かが見ていて報告された時は「あんたが言わなきゃ私は怒られなかった」となる
良い悪いの基準が自分の中に無いため、悪い事をした意識がなく自分の評価が悪くなった原因だけを突き詰める
他人の評価だけが高ければ、中身がどうかなんてどうでもいいと思っている
だから、いじめやDVやパワハラや虐待など、自己愛性人格障害者に起因する全ての事柄は、告げ口をすると、告げ口をして加害者である自己愛性人格障害者の評価を著しく下げた被害者や被害者を助けようとした人が攻撃される事になる
いじめや暴力や暴言について、悪い事をしたという判断をしてやっているわけではないので、もちろん被害者に対する罪悪感もないし、振り返ってもあの時は悪い事をしたなんて思う事もない
いじめてた事で周りの評価が下っても、自分の評価が下げられた事が問題であって、いじめた事は問題ではないのです
「反省しました、もうしません」と謝ったところで、何をしてはいけないのかも分からないのが現状です
これは、脳の中の判断する部分を全て親に委ねていたのが原因です
そうしなければ許されない環境を親が作っていた事が原因なのです
親の言う「いい子」を求め、親の判断に従い、過ごして来たので、判断をしてくれる人が何も言わなければオッケーという事がまかり通るのです
会社で言えばトップや上司だろうし、学校では先生になります
いう事は良く聞くし、目上の人の前ではとにかくいい子だけど、言われた事以外は出来ないし、周りの人は見下して蹴落とす事が当然の存在
バレなきゃいいでしょ!はそういう事なのです
トップや先生が自己愛性人格障害者であれば、親の代わりをするだけで、その人の自己愛性人格障害的考え方はますます成長してしまいます
前にも言いましたが、自己愛性人格障害的な考え方のない人なんてあまり見たことがありません
そしてその考え方はあっという間に伝染します
それを分かって、ガツっと核となる自己愛性人格障害者を止める先生や上司でないと、被害者は言い損になってしまいます
いじめっ子の親と直接話したところで、親は子供より自己愛性人格障害的な考え方なので、話は通じません
中身が分かれば、今の自分の立場で何をしなければいけないのかも少し分かるかもしれません
自己愛性人格障害者に気が付いてもらいたいとか分かってもらいたいなんて、不毛な戦いを挑むような物かもしれませんから、そこにパワーを注ぎ込む事の切なさに気が付く事が大切です
泣き寝入りしろということではありませんが、大切な物を見失わないようにしないと、プライドと命を天秤に掛けてしまうかもしれません