心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者のママの監視

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自己愛性人格障害者であるママは、子供の近くにピッタリとくっついている

 

とても子供の事を考えて、子供の為に尽くす、子供思いの素敵なママである

 

子供もとても行儀がいいし、いつも同じ子と一緒にいる

   

ママがいる時は…

 

ママがいなくなると、他の子と遊んだりいじめたり、のびのびしている

 

ママがいる時は、ママの言うとおりのママの装う素敵に合った子供の役目をしなければいけないので、そうではない時とのギャップは凄い

 

そりゃ、いじめの加害者と言われても「うちの子がそんな事する訳が無い!」と言うのも分かる

 

そんなママだけど、なんでピッタリと子供にくっついているのかなと…

 

 

子供はママが近くにいればキチンとお行儀良く振る舞います

 

それを自己愛性人格障害者は分かっています

 

だって、自分がそうだもの

 

「ここではちゃんとしないと怒られちゃう」とか「ここで笑っておかないと可愛がってもえない」とか、全て誰かが見ていて評価されるためにしか動かない

 

評価されないところで頑張ったって仕方ないのだ

 

だからもちろん子供が一番に評価してもらいたい親の前でキチンとしない訳がない

 

子供をキチンとさせるために母親は必須だ

 

そのために、ただそこにいる事に意味がある

 

他の子に対しても「あの子の親はちゃんと見てないから駄目ね」なんて言う

もちろん、ちょっと見てないと危ないんじゃない?なんて子もいたりはするけれど、別に危ないから見てたほうがいいと思っているのでは無く、子供は信用出来ないから見ていなければいけないと思っている

 

そんな自己愛性人格障害者である親達は、実は自分の子を見ていない

 

そんなにピッタリくっついて、まさか自分の子を見ていないなんてあるのか!と思うけど、他の子のレベル確認、成長確認、持ち物確認に必死だ

 

あの子のあの持ち物って、どこの?

 

いくら?

 

お母さんお仕事は?

お父さんのお仕事は?

 

あの子勉強出来るらしいよ

 

あの子上手になったね

 

兄弟の成績は?

 

 

なんて、情報集めに余念が無い

 

自分の子の事なんて興味もない

だって、子供は自分そのもの

見てなくても、私の思うように動くに決まっている

見ていなくてもキチンとやって欲しいと親が思えば子供もキチンとやる事が当然だし、そうではない場合などあり得ない

 

あっ、誰かに負けそうなら躍起になるけど、親が躍起になっても仕方ないじゃないと思う

 

もちろん、子供は親の気持ちを全部背負うので、親が躍起になれば、子供もなりふり構わず蹴落としていじめて親の立てたライバルを潰します

 

そんな自己愛性人格障害者親子ですが、親がいないとき、子供はのびのびしてるけど、それは一時的な事

 

親が病気で入院なんて事になって、べったりな親がいない日々が続いたら、さぞかしのびのびとやりたい放題出来るだろうと思うけど、そんな風にはならない

 

子供は、親にべったり依存している

 

それまでずっと自己愛性人格障害者である親の思いと評価のみで動く事しかして来なかったので、自分がどうするかを考える事が出来ない

 

評価してくれる事にしか価値が無いので、評価してくれる人がいないと、動けない

 

自分の思いも無く、評価も無いと、何をしたいのか?何をすればいいのか?全く分からなくなってしまうのです

 

結局、自分が動くために、自分を手足としてくれる誰かを探して依存するしか無く、親と同じ様な自己愛性人格障害者を探す事になってしまうのかもしれない

 

結構努力家なので、依存する人がいれば輝く事も出来ると思うんです

 

でも、その中身が幸せかどうかは微妙です

 

どんなに素敵に見えたとしても、親子共に本人が満たされる事なんて、一度も無いのだと思います