心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

「やる気スイッチ」を押せるか?

「やる気スイッチ」って皆さんどこにあるんでしょう?

子供にやる気スイッチがあったら押したい!って思ってる親は多いはず

 

特に嫌な事のやる気なんて全然出ない

それって、自分の事で考えてみても当たり前だと思いません?

 

私も「ピラティス」とか「めざせNO.1」の教室で、「この人のやる気スイッチを押せたな!」って瞬間が見れることがあります

 

でも、やっぱり毎回ではありません

 

ただ、一度押せるとその後は押しやすくなります

 

しかも何度も押すと、そのうち自分で押せるようになります

 

なんて、いつも書いてますが私の個人的意見で、専門家ではありませんので、出来ないじゃんとか言わないで下さい

 

やる気スイッチの場所は心の奥の方にあります

 

だから、押す人を信用していないと絶対に押せません

 

子供だったら両親が一番です

教室だったら「この先生の言葉は信用出来る!」と思って貰わないと、やる気スイッチなんて見る影もありません

 

だから、親が子供に学校の先生や習い事の先生の悪口とかを言っていると、子供のやる気がなかなか出ません

 

ふふ、私も言っちゃいますけどね

 

「技術は信用してるよ」とか「反面教師ね」とか付け足しても遅いですね

 

ちなみに、もちろんですが、自分を信用していれば自分で押すことも可能です

 

でも、自分で押すのは高等テクニックかもしれません

 

 

押せる人(信用している人)がその先に明るい未来が待っている事を分かるように言ってあげるだけで、実はやる気スイッチはかなり簡単に押せるんです

 

「宿題終わらないとテレビ見れないよ!」なんて言葉は暗い未来を想像させてやる気スイッチどころか、もうただただ嫌な事を無理矢理やるだけの作業になる

 

褒めてあげればやる気スイッチ出るよねって思うかもしれないけど、それだと出来たらずっと褒め続けられる未来が約束されないと、やる気が出ない

 

確かに、その手法を使う事は可能

でも、思いっきり自己愛性人格障害になってしまうかも!?

 

「出来たら褒める、出来なかったら無視」

 

これが心を支配して操る方法としては最も簡単かもしれない

 

でも、これ大抵お母さんが子供にやる手法

先に死んでしまったら、子供はどうするの?

褒めてくれる人を探して依存しながら生きていく道を子供に作るだけ

 

じゃあ、褒めちゃいけないの?って思うかもしれない

褒めちゃいけない訳じゃない

 

私は「凄いじゃん!、出来たじゃん!」って良く使うかも

 

出来ないと思ってた事が出来ると信じて何度もチャレンジしたら出来たじゃんって事を軽く言う

 

あと「絶対出来るよ!」っていつも言う

 

出来てる見本が前にいたら、その見本をしている本人も元は出来なかったんだって事を言う

 

何かが少しでも上手くいった時は、その上手くいったことは、その先の明るい未来に繋がる過程だと言う事を一言加えてあげるだけ

 

「お風呂に入りたくない」と言っている子供のやる気スイッチを押すために

「おっ、今からお風呂入ったらめっちゃ早く寝れちゃうかも!」

「沢山寝れたら明日の朝はちゃんとご飯が食べれちゃうかもね」なんて言う

 

 

「宿題やる気しない」って言ってたら

「この前、テレビ見ないでやったらめっちゃ早かったよね、今からなら○時には終わりそうじゃない?そこからテレビ見ようよ」

 

とか言うと、その後もテレビ見ないでお風呂に入って本を読んでいたりする

 

もちろん、毎回やる気スイッチが押せる訳じゃない

でも、明るい未来が見えてくると意外とやる気は出てくるものだ

 

自分のやる気スイッチを自分で押す時も同じ

 

明るいゴールをキチンと決めて、そこに向かう道をひたすら歩く

 

ゴールに続く道だと信じて一歩を踏み出す

 

そのためには、まず自分の歩いている道がゴールに続くと信じなきゃいけないから、自分を信用していない人には絶対に押せない

 

自分のやる気スイッチを自分で押せたら、もう怖いものは無い

 

どうしてもやる気が出ないし明るい未来が見れないときも、一歩踏み出してから軌道修正しつつゴールを目指せるようなやる気スイッチが押せるようなれば、かっこいい大人になれるに違いないと思う