心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

必要とされたいと思う

誰かに必要とされたい

 

その気持ちどこから来るか…

 

必要とされている気がしないって事かもしれません

 

必要とされていない=生きてる価値がない

なんて思う人もいるかもしれない

 

ボランティアとかをする人もいるかもしれないが、根本的な解決にはならない

ボランティアをすれば確かに「ありがとう」と言われる

「あなたが来てくれて良かった、助かった」と言われるかもしれない

 

でも、本当はそこではない

 

凄い人ねって言われたい

居てくれないと困ると言ってもらいたい

あなたが居ないと生きていけないなんて言ってもらいたい

 

これ、全部他人の評価だ

他人の評価は大切かもしれないけど、自分では評価できていない事になる

 

他人の評価だけでは満たされない

 

必要とされたいと思う人は、いつまで経っても、どんなに必要だと言われても満たされることはない

 

自分が死んでも誰も困らないと自殺する人がいるが、誰からの評価もないと言っているのだ

 

誰からの評価も無ければ、そういう風に考える人は、そもそも自分の評価は0だから、評価されていないと考える

 

0評価の私は生きていても意味がないと考える

 

だから、結局自己評価を上げなければ自殺を防止出来無い

 

誰かに必要とされたいがために、子供を過保護に育て自分が居ないと生活できない大人を作って、養って、だめな子扱いしながら大きな子供の愚痴を言っている親を見てしまうと残念に思うけど、自分をなんとかしないと、子供は犠牲者として生きていく事になる

 

自分で自分をきちんと評価出来る人は、誰かに必要とされたいなんてそもそも思っていないのです

 

そして、誰にも必要とされていない人はいないのです

 

誰かに必要とされたいと思う前に、自分で自分を必要としてみてほしいです

 

だって、親の犠牲者として生きている事は親が必要だと思っていると言うことだしね