心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

片付かない部屋をどうしてますか?

季節ごとに断捨離だの片付け特集を雑誌やテレビでやっているところをみると、きっと片付ける事に誰もが苦労しているのかなあと想像できる

 

私も片付けは得意ではない

 

ただ、昔に比べて片付けられるようになったなあと思う

自分でも感心するほど進歩した

 

ところで「机の上と頭の中は一緒」って言葉は聞いたことがあるだろうか?整理整頓された机の上であれば、頭の中も整理整頓が出来ていると言う事だ

 

物理的な事がなぜ頭の中につながるのか?

それは、片付けがいる物といらない物と分ける事であるというものだ

 

頭の中がごちゃごちゃということは、捨てる情報が散らばっている状態で、捨てるものを捨てる決断が出来ていない

 

出来る人=決断の出来る人

 

だから、何かが出来るようになると部屋もきれいになるのかもしれない

 

ところで、我が家はここ何年も子供達の片付けの出来なさに試行錯誤している

 

ただ、最近は落ち着いてきた

 

最近は部屋が汚くなり生活が出来なくなるまで放置している

物は無くなるし、洋服もタオルも洗濯に出ていない

ペットボトルがいくつも転がる部屋を放置するのはかなり、忍耐力のいる事

 

そして、どうにもならなくなったところで掃除を一緒にする

ほんの少し掃除に参加してもらいながら掃除する

それが1ヶ月に1回だったり2回だったり…

 

それを繰り返している

 

掃除すると大量の洗濯物や毛だらけのベットは唖然とするが、それで生活して気にならないのだから仕方がない

 

ちなみに、自閉症スペクトラムとかで少し頭に偏りがあると、ゴミは見えないらしい

普通に生活している人でも少し頭の偏りがあれば、もしかしたらゴミには興味がないから見えていないのかもしれない

 

もしそうであれば、汚い部屋でもそこはキレイに見えるのか?

なんて、人のフィルターを通して汚い部屋を見てみたくなる

 

こんな部屋だが突然片付く日がある

それは、何かにやる気が湧いたとき

 

勉強だったり、趣味だったり、生活の何かにやる気が出ると、部屋が勝手に片付くのだ

 

そう、いらない物が見えてくる

 

そして物が捨てられる

 

私もそうだったのかもしれない

自分に自信が持てないあの頃は、捨てる決断が出来なかったのかもしれない

今は、いらない物を自分の判断で捨てることが出来る 

 

部屋は片付けをしたい時に片付けられればいいのかもしれない

確かにきれいな方がいいに決まっているが、汚いままで我慢できるなら、少し放置しておいてあげてもいいのかなと思う

 

きれいにしてもやる気がない限り自分で掃除する事は出来ない

親がずっとやり続けてもキレイにはならない

 

いつまで我慢できるのか我慢比べだが、健全な心であればいつかそのゴミが見えてくる日があるのかもしれない

 

完全放置ではない

見守りながら放置する事は、全てをやってしまうより数倍労力がいる

一緒に作業する事も本当に面倒だ

 

でも、人が成長するためには絶対に必要だと思っている

 

信じて待つことをして欲しい

全てをやる事が自分のエゴだと気がついて欲しい

 

じゃないと、信頼が育たない事に気がついて欲しい

 

信頼する気持ちが育たず皆が敵にならないように、片付けだって見守って欲しい

 

もし共感出来たら、覚悟して家族と共に育ってみてもいいと思います

 

食べ物を部屋に入れないルールを作れば、耐えられない程にはならないと思います

 

もちろん、責任はとれませんが…