心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

環境は関係ない

環境のせいにするのはどうかと思うけど、実際は環境がどうにもならないほど酷い時はあります

 

ただ、自分のできる事をやらずに人のせいにすることは違います

 

例えばやる気が無い子ができない事を先生や環境のせいにするのはおかしいし、もしその子が環境のせいだと言って環境を変えても、やる気がでなければ同じ事です

 

子供がやる気が無い時に、最近の親達はどうするか?

 

先生を変えます。

 

いい先生にめぐりあうはずだ、自分の子にあった先生がいるはずだと探すのです

 

確かに相性があるので、その子に合った先生はいると思います

 

でも、親はそういう時、その子に合った先生を探している訳ではありません

 

親の思う子供を作ってくれそうな先生を探しているのです

親の思い描く子供の成長を望んで、そのお手伝いをしてもらいたいのです

 

だから、子供がやる気がなかったらバンバン尻を叩いて追い込んでいく様な先生を求めたり、先生にそうして下さいと言ったりしてしまいます

 

そこには子供の意志を置き去りにした親の姿があります

 

子供はキチンと見られていないし、子供の人格を尊重する事もありません

 

子供は寂しいのです

 

これが自己愛的な考え方なのですが、自己愛性人格障害者である親の場合はもう少し違います

 

親はどちらも同じ思いで動くのですが、子供は既に支配されています

子供も親と同じ意見になります

だから、子供も「特別な私には特別な先生がいるはずだ、私の価値を分かってくれて素晴らしいダイヤの原石であると思ってくれる先生がいるはずだ」と思う

 

結果、子供の意見も聞いている

 

尊大な我が子と親の価値を気がついてくれる人などどこを探してもいない

だって、尊大な子供などどこにもいないのだから

 

そもそも、人に自分のやる気を出させてもらおうとする事はおかしい

 

他人からの影響を受けるときは自分がそれを受け入れたいと思った時のみで、基本的には自分の心は自分で変えるしかない

 

そこを人に頼って、出来なかったら他人のせいにして逃げる

 

きっとずっと繰り返す事になる

 

確かに、でんじろう先生みたいに面白く楽しく授業できる先生はいます

でも、だからってでんじろう先生の授業を受ければ皆物凄い科学者になるわけでもない

 

画一化した凄い人間を量産する組織は、自己愛性人格障害者が運営する組織に多い事や自分が誰の意見を汲んでいるのかをもう一度考えて自分と人の心を受け止めて欲しいなと思う