フィルターは人それぞれ
自己愛性人格障害者には自己愛的なフィルターがあるように、人それぞれかなり違ったフィルターをもって世の中を見ている
そのフィルターが理解出来ない物であれば、そこから繰り出される行動はもちろん理解出来なくて当然だと思う
フィルターがどんなフィルターかを知ることは難しいが面白い
このブログを書いてみて改めてそう思って人を見ている自分を認識する事が出来た気がします
そして、そう思って見てみると自己愛的なフィルターはかなりシステム化されていて、ここ最近は増えている
何より分かりやすいし簡単だ
支配と恐怖により相手を画一化し一定の方向へ導く
損得と上下の価値観でみるフィルター
それに対して、支配的でない個々の人間を信頼して尊敬して羨望を力に変えていく様なフィルターは本当に人それぞれ
人が並列に並ぶ事は社会的な組織にそぐわないだろうし、日本は上下関係が厳しいので馴染めないのかもしれない
これをある程度システム化したり分かりやすくする事ができれば、少しは世の中変わってくるのかもしれないが難しいなと思う
このフィルターを理解する事が出来るようになる為には、理解に必要な要素を見られるフィルターが必要なのだ
かなり辛い経験がないと手に入れられないのかもしれないフィルターだからこそ、価値があるのかもしれない
もし今自分が輝けているとしたら、今迄の出来事を全て活かし、素敵なフィルターをくれた全ての人や出来事に感謝できるかもしれない
まだ輝けていない人は、素敵なフィルターを手に入れる為の過程だと思ったら乗り越えられるかもしれない
フィルターは人それぞれです
その中でもシステム化された自己愛的なフィルターは出来れば捨てて欲しいなと思います
何でもそうですが、聞こえていないのも見ていないのも自分だけかもしれないのです