心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害の人を責めても…

告発流行り
やっぱりおかしい!
と思って人数を集めて告発する事も増えてきた

上に立つ人で権力を持ってる人、特にスポーツ界は自己愛性人格障害の人がゴロゴロといる

スポーツは成績が目に見えて出るから、自己評価が上手く出来ない自己愛性人格障害のひとにはもってこいだ
親にも喜ばれる
自己愛性人格障害は育つ過程で親に認めてもらいたいと切に願う
親は、良い成績をとってくる我が子を自慢し喜ぶため、親に喜んでもらうために競技に没頭する場合も多い
決して、競技が好きなわけではないが、親に認めてもらうためにとにかく頑張るので、成功する人も多いのだ
自分が好きでやってる子は自分が好きでなくなればその競技をやめるけど、親の為にやってる子はやめれない
他に親を喜ばせる方法が分からないからだ
だから、誰よりも長く続ける事が出来る
親も自己愛性人格障害だったりすると、自分の子を抜かしそうな子を見つけると早めに排除する
悪い噂をたて嫌がらせをしてあっという間に排除する

そうやってどんどん成績を上げ、大人になった人が指導者になって、パワハラをし上に立ち権力を握る

ただ、自己愛性人格障害は本人がやっている事をちゃんと認識出来ない
パワハラをしていることも全く持って理解できない
これがパワハラになると言われたとしても、パワハラだと認識する事はおろか、悪い事をしていることさえ理解できない

それは指導だからだ
親切心でやっていると心底信じている
だから、どんなに寄ってたかって叩いたとしても、心から謝ったふりをしても、認識出来ない事を改める事は出来ない

間違えを間違えと分からないのだから、同じ間違えを繰り返すのだ

どんなに競技で素晴らしい成績を残しても、監督として凄いチームを作っても、人のモラルについて理論的に語ったとしても、自分の事になるとフィルターがかかって認識が捻じ曲げられる

だから、訴えて辞めさせたら終わり
改めてその人の手腕を使いたいなんて思ったらあっという間に元通りだ

訴えても良いけど、どこを終わりにするかをキチンと決めてから訴えないと、結局訴えた方が疲弊して終わるかもしれない

相手はなんの認識も痛みも無く、また違う世界で同じ事をするか、鬱病になって弱々しくなるかどちらかしかない
鬱病にかかった姿を可哀想だと思って昔のその人を取り戻そうとすれば今度はその人がターゲットになるだけだ

手を差し伸べる人がいなくなれば、そういう人は、減るかもしれないが、意外と自己愛性人格障害が作る表の顔は魅力があるので、それは無理


結局、辞めさせて近づかないくらいしか出来ないと私は思う
自己愛性人格障害を責めても、結局やられた傷は癒えないのかもしれない