心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者の被害者の誰に言っても分かってもらえない絶望感

f:id:pilatesno-1:20210304230842j:plain イジメやDVや虐待、モラハラパワハラやストーカーなど自己愛性人格障害者の起こす困った被害の被害者は、初めから全てを諦める訳ではない

「おかしい」「辛い」と訴えた時に、自己愛性人格障害者のフィルターが分からない人からの心無い言葉に寄って何度も絶望感を味わい、SOSを出す事に疲れてしまい頑張って訴える事を諦めるのだ

しかも、その心無い人からの加害者への確認などにより、被害者の状況は確実に悪化する

前よりも悪化した状況と前よりも心無い人達が周りに多いと知った絶望感によりSOSを発する力が無くなる

なぜ周りはこんなに心無い言葉を被害者に言ってしまうのか?といえば、DVや虐待を犯罪としてしか解決しようとせず、根本の自己愛性人格障害者のフィルターが分かっていないからだ

分からないのは仕方のない事

例えば、仕事はきちんとしている人だし普段は優しい人だから、まさか家で子供にそんなに手を上げるなんて考えられないとか、まさかそんな事は人間として出来ないだろうみたいな、先入観や常識って皆ある

自己愛性人格障害者のフィルターは、そんな常識で考えられるような物ではない

都合が悪くなれば、記憶をも塗り替える

白を黒だと言い張って、それでオッケーだと言わない限りはトイレにも行かさない、ご飯も与えない そんな事ありえる?って思える事がその人の周りではありえるのだ

その白黒は本当に下らない事だとしても、大きさは関係ない

怒りに触れてしまえば、事の大きさなんてどうでもいいのだ

だから、心無い人達は「え、こんな下らない事で?」「いいじゃん、白でも黒って言っておけば」「いいじゃん言う事を聞いておけば」みたいな発言をする

その暴力や言葉が大きいか小さいかに関わらず、被害者の心に与える傷が物凄い大きい事が問題なのに、被害者の話を聞いてその暴力や言葉や事象の大きさについて話すことは、意味がないどころか、「私は加害者の立場に立って話を聞きますよ」というスタンスを取ることになる

被害者がもう話しても無駄だと思ってしまうことは、まさか自分が原因ではないと思っている人達が攻撃した結果なのだ

だから、イジメもDVも虐待もストーカーも、何度か訴えても被害者は訴えたり相談した人から攻撃を受けて疲弊してしまう物だと判断して、力を使い果たし被害者として諦める事を選択してるのである