心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

攻撃的になる訳は

人が攻撃的になる時というか、ならざる負えない時は、どんな時だろう?

1番はとにかく自分の身を守る為

このままだと、やられてしまう!と思った時だろう

でも、そのやられてしまうは本当にやられてしまうのだろうか?
もしかしたら、やられてしまうと思っているのは自分だけかもしれない
だとしたら、やられてしまうと思った原因は何だろうか?

まあほぼほぼ劣等感だろう

この人に自分の居場所を奪われるかもしれない!
自分の憧れをいとも簡単に成し遂げているように見える相手を羨ましいと思い、それを出来ない自分が情けなく思ったりしている時だと、このままでは自分が出来ないと言われているようだ!
??
でも、言われているようだはあくまで言われているようだなのである
実は出来ないと思っているのは自分だけだ 
誰もせめていなくてもそこに憧れが存在するだけで、心がしんどくなるし攻撃されているように思う
攻撃されたと錯覚する

これはなんとかしなくては!
と思い攻撃的になる

ただ、残念ながら攻撃的な人を癒やしてあげたり変えることは難しい

だったら、相手はどうしてこんな攻撃的になったのか?を受けた方が考えて、逃げれるなら逃げるのが懸命かな

その攻撃的な人はその人が存在する限り勝手に攻撃を受けた気になり攻撃的になる事を繰り返す
その人にとっても心の不安定要素になってしまう

どんなに憧れる人でも、心の持って行き方がうまく行かない相手なのだ

難しい事を簡単にやってのけたり、普通そうに見えるのにキラキラ輝いてる人って世の中沢山いる

そういう人の苦労や思いは、物事をネガティブに考えがちだったり表面しか見れない人には、なかなか分からない
キラキラ輝いてる人にはキラキラ輝いてる理由があるんだ!

そして、その見えないオーラを心は受け止める
近くでキラキラ輝いてる事に腹が立つような人は相手を認めているつもりでも、心がそれを拒否する

そうなったらしんどい

素直に認められなくなったら、どちらも離れよう!って私は思う
あとずっと思っている事としては、
選べるところはキチンと選ぶ
自分で選んだ事には責任を持ってその中で居心地のいい場所を探すことが大切
自分の思い通りに行かないのは環境のせいではなく思い通りに持っていけなかった自分の力の無さ
意見が通らないのも意見をキチンと言えなかった自分の力の無さだ
意見を言う立場にいけてないのに、誰の信用も得ていないのに意見だけを言うのは、まるで小さな子供だ

この会社を良くしたくて思い通りに動かしたい!って思うなら、社長にならなきゃね!
ってうちの旦那様には言っている

もちろん社長になったら経営だって考えなきゃいけないし、それが本当に思い通りなのかも分からない
もしかしたら文句を言いながら社員でいる方が楽かもしれない

いつだってどこにだって攻撃的な人はいる
もしかしたら自分も攻撃的になる時がある
ストレスか多い世の中だから仕方ない

その原因が少し分かって、そっと原因である人との心の距離を置けたなら、お互いに楽になるかもしれない