心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

過保護と虐待が同じなんて!!

f:id:pilatesno-1:20210304232423j:plain


過保護と虐待が同じなんて言われても、納得いかない!かもしれない

 

でも、同じだと私は思う

 

過保護と虐待はやっていることは真逆だが、方向は一緒だ

   

過保護に子育てをしている人は自分の子育てが過保護なんて思わないかもしれない

 

それは虐待も同じ

 

まさか自分が虐待してるなんて思っていない

 

過保護な子育てをしている人は、「子供の事を考えて多くの事を私はしてあげている」と言うだろう

 

虐待をする人も「子供の将来を考えて厳しくしつけているだけだ」と言うだろう

 

どちらも、誰よりも子供の事を考えていると言うけれど、中身は子供の気持ちなんてどうでもいい

 

どちらも子供を思い通りに動かしたいだけ

 

過保護な子育てでよく使う子供の操作方法としては「○○を買ってあげるから頑張りなさい」とか「これを達成したら○○を買ってあげるね」というご褒美で人を操作する方法が上げられる

 

どの辺が過保護?と思うかもしれないが、物で釣るのは立派な過保護の入口だ

 

そして虐待の入口は「ちゃんとやらないと殴るぞ」とか「ちゃんとやらないとご飯食べさせないぞ」なんて言い方

 

こちらは、恐怖で人を操作する方法

 

本当に殴らなくても、虐待の入口としてはかなり立派

 

精神的に追い詰めながら物事をやらせる

 

どちらをやっている親達も、子供を良い子に育てる方法は他にないと信じてやっているし、まさか子供が自主的にその目的を成し遂げられるなんて微塵も思っていない

 

自分のやり方は絶対的に正しいと信じて疑わない

 

子供はそんな風に操作しなければ言うことを聞けない下等な動物であるとバカにしている

 

そして、子供だけではなく、自分のように物で釣ったり脅して子供を思い通りに扱えない配偶者をバカにする

 

何でもガツンと叩いてやらせない事について「なめられてる」といい、「子供にもなめられて下に見られてしまう無能なやつだ」と思っている

 

ただただ、自分は物で釣らなきゃ人を動かすこともできなければ、脅さないと何かをやらすことも出来ないだけ

 

子供が自主的にやるまで待つ忍耐力なんて無いし、自分の言う通りに子供が動かないとイライラとストレスを募らせる

 

暴力に出るか、「じゃああれ買ってあげるよ!」になるかなんて紙一重

 

子供が甘えていることを受け止める事もしないし、とにかく自分の思い通りに子供を動かしたいという自分の欲求だけで動いているだけ

 

「あんなに物を買ってあげたのにやらないなんてあり得ない!」とか「あんなに子供の事を考えてしつけをしてるのに頭に来ちゃう!」なんていうかもしれないけど、それは自分の能力の無さを公表しているだけ

 

なんとも貧相だ

 

でも、現実世界の私の回りでは70%位はどちらかに当てはまる

 

しかも、どんどんと増えている印象

 

子供は生まれたときから自分の意思を持つ一人の人間だし、下等でもなければ大人の方が上等でも無い

 

小さな子供を操作しないといけないと思った時点で自分の中では、自分は子供以下だけど「暴力なら勝てるよ」とか「経済的には子供より上だ」と言っているようなもの

 

絶対に勝てる物を見せびらかさないと、劣等感で自分を維持できないほどの自信の無さを隠して、自分の能力の無さを露呈して、良い大人が何をしてるんだか

 

それにしても、子育てや結婚生活は人間を成長させる出来事の連続だ

 

自分の思い通りに行かない人間同士が上手く同じ方向を向いて歩いていく方法を模索する事で、精神的な安定を維持して自立し成長していくのだなと思う

 

イライラしながら子供達を見ていることも多いけど、毎日こんなことを考えながら家族と接している私は案外成長してるかも!なんて自負している

 

過保護も虐待も成長過程だけど、そこを抜けないでそれに依存しすぎていると、子供も親も子育てでなんの成長も出来ないかもしれないです