突然とっても体調が悪そうに動けなくなる子供とそれを甲斐甲斐しくサポートする母親
さっきまで、元気だったよ!?と思って眺めてしまった
本当にそれほど調子が悪いなら、救急車を呼ばなきゃいけないだろう状態なのに、どうやらいつもの事の様で、我が子達はスルーしながら自分達の事をせっせとしているのです
その親子や心配そうに見守る周囲にちょっぴり違和感を感じながら、その場から去りましたが…
きっと、そういう子なんです
理由は分かりませんが、普段の言動を見ると心が折れたんだと思います
そもそも良く言えばとっても合理主義な親子
損得を考え他人とお付き合いし、人と話しながらその人が使えるか使えないかをせっせと探しています
今のところ私にはあまり害はないですが、自己愛性人格障害的な人達だなと思います
何かを誰かに言われたのか?自分が誰かより劣っていると思ってしまったのか?…
まあ、多分後者だと思うのです
普段から面倒な事を嫌う人
ただ、面倒を嫌いなだけならいいけれど、面倒をわざわざする人達を下に見ています
「凄いね」といいながら、「良くやるね」と思っています
「出来るよ」といいながら、「私はやらないけどね」と思っています
お金を出せば出来るのに苦労しなくてもいいんじゃない?って思っています
お金に余裕があるのか、お金の価値を過大評価しているのかは分かりませんが、お金でほとんどの事が解決できると思っているのかもしれないです
もちろん、ほとんどの事はお金で解決出来ますが、お金より動く物も沢山ある事を忘れてしまった感じです
なので、面倒な事をわざわざする人は損を自分からしにいく様な人だ!と思っています
「自分は得を取る人間」で、面倒な事をする人は「自分に得を搾取されちゃう可哀相な人間」なのです
そんな考え方は、子育てや人間関係に影響します
子供も親も、搾取される方にはなりたくないのです
自分が得をしたと思えば、相手は損をしているはずです
では、何があったのか?
自分が思っていたよりも出来なかったり、思っていたよりも大切にされたり、思っていたよりもやってもらえなかったりしたのかなと思います
「思っていたよりも」はその人の期待値が大きいだけのように見えて、周りとの比較が主体です
周りと比較して、出来なかった、大切にされなかった、やってもらえなかったなのです
もちろん、自分ではそんな比較をしている感覚はありません
原因がどこから来ているのかわからないまま、ただ出来なかった事実に自己愛性人格障害者達は心が折れて動けなく程のショックを受けるのです
どんなメカニズムよ!って思いますが、「出来ない」は「自分が出来た相手からバカにされる」になり、「出来ない自分を出来た人達は心で笑っている」となり、「皆が自分を笑っている」と思い、「皆から攻撃された」となって「ここにいるのが辛い」となるんです
誰も何も思っていなくても、いつもの自分の思考が周りに映って、劣等感があっと被害者になるんです
これが投影
周りを日々バカにしていると自分がバカにされたと思ってしまうのです
攻撃した事実がどこにもないのに、突然誰かに「攻撃してきた!」と騒ぎ立てたりするのは、こんなメカニズムから起こるのです
はて、そんな具合が悪くなっちゃう位、心が折れた子供に甲斐甲斐しくお世話する母親ですが、子供と心を同期します
皆に心配してもらって、自分は頑張っているのに出来ないアピール
私は子供を見ている良いママなのかな?
周りは突然の攻撃が来ないように「あなたの味方よ」的な心配顔
面倒は、自分かもしれないです
関係ないので気にしないで、変なのって思いながら去りました
まっ、いっぱいいるんです
頑張ったアピールは、して意味が無ければしないのです
我が家も変な頑張ったアピールが出てきたら「あれ?」って思わなきゃいけないかもしれないです
気をつけよう