心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

変わった人と普通の人

 

f:id:pilatesno-1:20210215205448j:plain

変わった人って周囲にいるかな

まあ、言い換えると普通じゃない人

 

そもそも、普通な人ってどんな人か?私には分からないです

 

なので、実は変わった人もよく分からないです

 

ただ、面白い人はいます

   

つまらない人もいます

 

そして、私の思う普通な人のイメージはつまらない人です

 

そもそも、普通な人って平均的な人

 

何もかもが平均的な人なんて、つまらない

 

本の学校教育ってまさにそこを育てて行こうとする制度なのかなって思います

 

つまらない人を育てて量産してもいいんですけど、面白い人を排除するのはやめて貰えないかなと思います

 

本の学校教育とは裏腹に、大人の世界で生きていくには、やっぱり面白い人の方が楽なんです

 

だって、つまらない人と一緒にいるのって退屈だもの

 

ちなみに、平均的な人なんてそうそういないのに、平均的な人を量産する制度の中で、上手く順応出来るって事は、周囲を気にして周囲の平均を探ってそこに自分を当てはめる事が出来る人って事

 

なんと、他者評価重視で生きているのでしょう?

 

なので、学校で上手く立ち回れる人達は、社会に出て大勢するのは難しいかもしれないです

 

学校生活でイマイチ上手く立ち回れ無い子供達が「きっと大物になるよ」って言われる由縁はそこにあるんだと思います

 

結局は、普通の人を装う人はいるけれど、本物の普通の人なんていないんです

 

そして、だからこそ本当はつまらない人なんてきっといないんです

 

どんな人でも変わっていて、どんな人でもきっと面白い一面が有るはずなんだと思います

 

そして、つまらない人に見える人に対しては、私の見る目がないだけなんだと思います

 

全てを他者評価で着飾ったとしても、結局着飾っているだけ

 

一生着飾っている自分にも気が付かない人もいるけれど、着飾って勝負しなくてもきっと本当は誰でもキラッとした何かはあるんだと思います

 

普通じゃなくても特別じゃないんじゃない?

 

変わっていても普通なんじゃない?

 

無理に普通を装うグループも息苦しいけど、無理に変わり者を自負するグループも息苦しいかもなって思います

 

多様化は、「何でもいいんじゃない?」って事で、中身は一つなのかもしれません

一つ一つを分析して分ける必要なんてないんだと思います

 

結局、色々あるけど皆人間じゃん!で終わりなんじゃないかと…

 

多様化と言わないと変わり者が人間だと認識出来ないなんてあんまりです

 

もう既にあるものはあると認識してあげるだけでいいんだと思います

 

そして、自分の中にあるものもあると認識するだけで素敵に輝くかもしれません

 

もちろん、マイナスの多様化もあるかもしれませんが、マイナスは見方を変えればプラスです

 

上手に置き換えてそっと良いところを見つめて育てて行ければいいなと思います

 

自分にも他人にも