心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自閉症スペクトラムの当たり前のズレの正体

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自閉症スペクトラムのIQが高い人達、アスペルガーさん達の当たり前は、私の思う当たり前とは相当違う

 

当たり前が違うと理解が出来なくて相当人間関係が難しい

   

だから、当たり前を取っ払ったらなんとか理解しあえるの?って思って、当たり前を取っ払ってみてもなかなかそのズレが解消出来ない

 

なんでなんだろう?ってずっと思っていた

 

私が当たり前を取っ払ったところで相手が当たり前を取っ払ってくれている訳じゃないから難しいのかな?なんて思ってもいたのだけれど、ちょっと違うのかも

 

自閉症スペクトラムの想像力はイマイチ

 

でも、IQが高いと知識と経験が想像力をフォローする

 

知識と経験のフォローってとっても具体的だし細かい

 

かたや、想像力ってびっくりするほど曖昧

 

曖昧な物をとっても具体的な物でフォローするので、曖昧だと許される違いだったり遊びが、アスペルガーの人達には許されない

 

曖昧な物を曖昧なまま置いて置くことが難しいから、なんでそんなところにこだわって動けなくなるのか?私にはとっさに理解が出来ないのかもしれない

 

曖昧な物が曖昧でいい経験って難しい

 

実際出来るのかな?

 

洋服を選ぶ時、家にあるスカートに合うかな〜なんて思いながらTシャツを買う

 

何となく、想像出来ればいいのだ

 

でも、経験と知識てこれをフォローしようとすると、具体的に雑誌で見たか、着ている人が目の前にいるか、自分が着たことがあるか…

しかも、洋服は色だけじゃない

柄や丈などはフォローがしきれない

 

ただただ迷う人は多いのかもしれない

 

だから、同じ物をいくつも買ったり、冒険が出来なかったりしてしまうのかもしれない

 

 

 

人間は本当に良く出来ている

 

想像が出来ない事がどこに影響するのか?

 

体の一部が使えないことが何に影響するのか?

 

思っているよりも複雑で、思っていないところに影響を及ぼす、とっても不思議な物なのかもしれないです

 

違う事を細かく知るより、曖昧にゆったりした世の中の方が多様性が認められる社会であることと同じ様に、何となく許していける関係なら、どんなズレがあっても何となく上手く行ったりするのかもしれないです

 

今の時代はそちらには向かっていない様な…

 

難しいね