心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自閉症スペクトラムの押し付けの仕組みから思う事

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軽いアスペルガーだろう人達に囲まれていた頃、その人達の物差しが刺さってくる事が本当にしんどかった

 

自閉症スペクトラムの人達の見方は一風変わっている

   

それは、ちょっぴり面白い視点だったりもするので、それ自体に問題があるとは今は思わない

 

ただ、人と人との距離が近くなると、その押し付けがうっとおしいほど酷くなる

 

人とは違う視点、人とは違う時間の流れ

 

人はそれぞれ全く違う感覚を持って生きているのだ

 

でも、自閉症スペクトラムの人は、目の前の人が全く違う感覚で生きている事を理解出来ない

 

目の前の2人の関係が恋人同士だったとして、自分の中に恋人という概念がない場合はその関係を想像する事が全く出来ない

 

本や漫画を読めば知識は入ってくるけれど、それは知識としてで感覚的な物ではない

 

本で読んだ関係や規則は確かに正しい事だけど、世の中全てが正しい事ではない

 

おまけに、自分の知識だけでは全ては理解出来ないのに自閉症スペクトラムの人にはそれが全て

 

2人は恋人同士だと知って、違和感を持って知識をいれたとしても、分からない事なんて沢山あるのだ

 

自閉症スペクトラムだと、頭の中にある事は全て言わなくては!と思ったり、意識してなくても言ってしまったり、注意しなきゃと思ったりしてしまう人も多い

 

それが、一緒になると、「この関係って悪い方向に行きそうじゃない?」とか「あの人気をつけないといけないよ」とか、何だかちんぷんかんぷんなアドバイスだったり、注意だったりをしてしまう事がある

 

間違った事を言っている訳ではないし、正しい行いだったりもするのだけど、はっきり言って大きなお世話だし、分かっていることを関係のない人から言われるほどうざい事はない

 

なんて事が毎日の生活で起こると、相手の物差しを毎日押し付けられていて、それを押しのける力が無くなってくる

 

違う事だと分かりつつも、モヤモヤを抱えながら、反発する意欲がなくなり自分に自信が無くなっていく

 

言っていることが正しいことだから、おかしいと指摘する事も出来ない

 

相手が刺している意志が無いのにガンガンと刺さってきて疲弊する

 

自己愛性人格障害者とはちょっと違うのだけれど、自閉症スペクトラムのこの違った見方の押し付けも、相手の善意が全てなだけに厄介なのだ

 

妹や弟に分からないであろう事を端から端まで支持をだしてしまったりするのも、指摘する人自身が抜けていれば大したことはないけれど、アスペルガーだと頭がいい

 

人が気がつない事にも気がついて、それを当たり前だと相手にも押し付ける

 

本当に参った物なのだ

 

そう、私にはこの押し付けをはねのけて、別の人格だと切り離した過去がある

 

そして、自己愛性人格障害者達からも、別人格を主張して距離間を保つ方法を少しずつ身に着けている

 

これを対立関係を主張せず、そっと距離を保って上手く関係を保ちながら距離を取れればベストだが、全てがそんな訳にはいかず、試行錯誤の日々なのだ

 

世の中の押し付けが、全て悪意でもないし、全て善意でもない

 

押し付けが親切だと信じてしている人がほとんどだから、押し付けはうっとおしいし跳ね除けられない

 

依存が強くなるほど、自立が出来なくなるほど、この押し付けは強くなる

 

依存が強くなるほど、自立が出来なくなるほど、この押し付けを跳ね除けられなくなる

 

お互い必要だから一緒にいるけれど、自立とは程遠いこの関係が、自己愛性人格障害者や自閉症スペクトラムの人達の力が強くなってしまう一つの原因なのだ

 

自立すれば、この厄介な人達は無害になる

 

社会が自立すれば、この人達は無害のまま共存出来る

 

そう信じて、居心地のいい社会に向かうヒントを投じられるようになるといいなと思う

 

自閉症スペクトラムの押し付けの仕組みが分かっても、何か変わるわけでは無いけれど、皆が違う感覚で生きている事を何となく許容して生きていけると楽なのかなと感じます

 

難しいとは思うけど、理想は高く、思いは強く、そっと心に持ち続けようと思います