心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

ベストを求める人達との距離

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ベストな100円の物を使っていたけれど、ボロボロになったとする

 

探してみたら、同じ物はもう売ってはいなくて300円で同じ様な物がありました

   

他にも300円位で同じ様な物はある

 

となると、300円のベストで手に入れやすい物を探すよね

 

これ、今の時代の考え方だなあと子供達や夫を見ていると思うんです

 

昔はこの「他にも300円でベストな物があるよ」っていう情報を手に入れる事が難しかったと思うんです

 

情報が沢山あるって、凄い事だなあと

 

だから、300円の同じ様な物の精査に我が子達や今の人達は物凄い時間を掛けます

 

同じ価格で少しでも良い物を探すんです

 

今の人達と言ったけれど、私の世代でも私より上の世代にも沢山そういう人はいます

 

でも、この人達に共通しているのは、「300円の同じ様な物」以外の選択肢があまり無いんです

 

情報は今は自分から取ってくる物なので、自分の欲しいと思う情報しか入って来ない

 

何かに特化した情報は楽に沢山集められるのですが、それ以外は目にも触れない物になってしまいます

 

そんな中、よく私は家族に「0円のベター」の提案をします

 

昔は、そんなに情報が無かったので、家の中に眠っている「0円のベター」ってあったと思うんです

 

今の人達は物に表記されている以外の使い方をあまりしないなって感じます

 

しかも、ベストを知っているのにベターを使う事に対する抵抗が半端ない

 

だいたい私の提案は初めは速攻却下されるんですが、「0円のベター」をちょっぴり改造すると、「ちょっぴり手間をかけたスペシャル」が出来たりするんです

 

なので「ちょっぴり手間をかけたスペシャル」として、使ってもらうために頭をフル回転させます

 

割に合わない手間を掛けたら0円の意味は無いですから、300円に満たない手間を基準にします

 

現実は50円が限界ですけど…

 

どうでしょう?

 

何でもいいですが、ベターの選択肢を取れますか?

 

ベターの選択肢を出せますか?

 

多分ですが、今の人達は情報量が多すぎて情報の量に気を取られてベストを見ながらのベターの選択肢を取ることが難しいのではないかと思うんです

 

AとBの選択をしているところで他者からCの選択肢を出された時に、それを選択肢に入れられるかって、家族を見ていると実は頑固とかってあんまり関係ないなって思います

 

その提案した人に対する信頼関係だったり、その人の劣等感だったりで受け入れるかどうかは決まっている気がします

 

そして、今の人達って信頼関係を築く為のコミュニケーションが足りていない

 

劣等感も威圧的なプライドで隠して、信頼関係が築けない中で、出来ないと言う事も出来ない

 

家族でも、下に見ている相手からの提案は受け入れないなと思います

 

圧倒的に勝てない資格でも持っていれば別だと思いますけど…

 

なので、さっきの話だと「0円のベターの提案を受け入れるか?」とか、「0円のベターの選択肢が出せるか?」とか、「手間をかけたスペシャルを考えられるか?」なんて事って、もしかしたらとっても大切な事で、今の時代だと出来そうだけどなかなか出来ないのかもしれないです

 

ベストを求める人達は、小さな違いに気が付く事に躍起になります

 

自分の感覚よりもそこに時間をかける人達はどうしても他人より少しでも得したいと思いがちで、視野が狭いので、少し距離を置いて上手に関係を築いて行ったほうがいいなと思います

 

自分も何かを考える時に、情報ばかりを追わずに一度情報から離れて遠くから見てみるのも悪くないなと思いました

 

それにしてもあの情報収集力は買い物をする時とかは本当に物凄い力を発揮するんです

 

我が家では、電化製品の買い物とかは子供と夫におまかせしています

 

私じゃ、あの情報量に疲れてしまいそうなので…

 

人には向き不向きはあります

 

自分の力を上手に発揮して生きていければいいと思います

 

だめなところは突かずに、そっとしまっておける環境が良いですよね