アドバイスをする人が苦手??
アドバイスをする人は苦手かも!って記事を書こうとした
でもなんか違う
これが何なのか?
正直まとめられそうも無いのでちょっと諦めかけていた
そんなとき本を読んでいたらふと気がついた!
そもそも、アドバイスとはなんだ?
アドバイスとは助言、忠告勧告
だそう
「こうすべきだ」とか「これがいいに決まってる」って言ってもアドバイス
これは結構鬱陶しい
本人は最良の選択だろうと思って言っているのかもしれないけれど、そこに押し付けがあるから鬱陶しい
ごく一般的な家庭の親子関係で存在するアドバイス
それに対して、私が有るべきだと思っているアドバイスは、選択肢の提示のみの物
これはこういうメリットがあるよ
これはこういうデメリットがあるよ
と、選択肢を吟味したり、情報収集をしたものを提示するだけ
さっきの宿題の話だと我が家では「早くやるとゆっくりテレビが見れるかもね」みたいな言い方になるのかな?
あとは、本人が決めるのを待つ
これ、出来そうでなかなか出来ない
親としては宿題なんてさっさと終わらせて欲しい!
もちろん怒れば、泣きながらでも終わるかもしれないけれど、親の労力はハンパない
しかも、完全にやりたくない事に向かわせる事によって一向に終わらない
そこで、前者のアドバイスを多様する人達は、脅しにかかる
「じゃあ宿題なんてやらなきゃいいじゃん!知るか!」ってキレる
かたや自分でテレビをゆっくり見ようと決めてやり出した方は、早く終わらせたいから、やりだしたらあっという間に終わる
ただね、やり出すまでに時間がかかる
自主性に任せるから
本人のスイッチがオンになるまで、オンになる時が来ると信じて待つ事になる
悩み考えてからオンにする事に本人も時間がかかるので、スッといく時もあれば、全く動かない時もある
それを待つのは親子だと特に難しい
我が家では、夫は完全に前者、私は前者と後者を行き来しているのかもしれない
だから、夫のアドバイスはとにかく鬱陶しい
「自分で決めろ!」はもう完全に放置で、投げやりだし怒っている
はっきり言って諦めてるのだ
私は、子供達が考える時も結構寄り添う
情報としての選択肢を自分の悔いの無い所まで集めて提示する
もちろん、私の「こうしてもらいたい」という意思は入る
でも、最終的には子供や夫が決めるのだ
私の意思はガッツリ入っても、私が決める事は案外少ない
これが、本来のアドバイスではないのかな?と思う
大して決めなくてもこっちの方が断然意見が通りやすい
どんなにその人の考え方が素晴らしいものだとしても、押し付けはやっぱり苦手だ
それがいいに決まっていても、それ以外のものに厳しい判断を下す人とは距離を置きたくなる
自主性は育ててあげないと、いつまでたっても自分で決めることが出来ない
「自分がどうしたいの?」ってことを考える前に「どうすればいいの?」って考えてしまう
協調性があるって言えば素敵だけど、何にも自分では決めれないつまらない人達の一員になっちゃう
多いよ
本当に多い
いつか大人になったら自分で決められるようになんてならない
この人達が、自分の意見を押し付けたり、選択肢を与えず何も決められない子供に決めろと迫ったりするから「自分の意見を言ってもいい」と子供達が思えない
「自分を信じて貰える」と思っていない
ちっぽけで価値のない子供達に自分の意見を押し付けながら、それを「適切なアドバイスをしている」と信じて止まない人達
もちろん、親子だけじゃ無く、上司と部下とかコーチと選手とか先生と生徒なんかにも言える事
アドバイスは、適切な道だと思う事だけを教える事ではなく、沢山の道がある事を教える事かな
自分で選んで失敗しても、その選び方や情報の収集の仕方や実行の仕方に問題があったという学びがある
押し付けられて失敗したら、押し付けた人のせい
自分の失敗として学ぶ事なんて一つもない
その人の言う事を聞かなきゃ失敗しない!とかいう結論が出ちゃうかも
いつまでも適切な道を押し付けても、失敗が怖くて自分では決められないしょぼい人間しか育たないのかもしれない
なんて、思うのです