心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

「出来た」の理由を考えてみると

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何かが出来た時、成功した時、人は振り返らない

失敗した時は復習する

もちろん、復習すれば次につながる

何で上手く行かなかったのか?
どうして失敗したのか?


それも物凄く大切だと思うけど、次も失敗、その次も失敗と失敗ばかりを繰り返す

そして成功した時、成功した理由を振り返る?

どうして上手くいったのか?
失敗した時と何が違ったのか?

本当は何かが出来た時こそ、振り返りたい


出来なかった事が出来た時は、何かが変わった時


何かが変わったから出来た、その何かをきちんと振り返って欲しい

それで始めて出来たが物になる

なんとなく出来てスルーしまうと、それがすぐに物になる事は少ない

誰かに説明する事も出来ない

ただ出来ただけで、できる過程を振り返る事が出来ない


他人に説明するにも「何度も復習すれば出来るようになるよ」こんなありふれた言葉しか出てこないかもしれない


もし、出来た理由を振り返っていたなら、「何度も復習していくうちに、ここがクリアになる瞬間があるんだよ。そうしたら、そこからは簡単に出来るようになったよ」なーんて言えるかも


分からない事が多いと、いったい自分が何処が分からないのかが分からない

少しでも情報が細かくなれば、上達速度は早くなる

だから、いかに出来ない所を明確にするかが、何かをマスターするカギなのだ


そのためには、「出来た」の意味を振り返りたい



出来ない理由の裏には出来る理由があるはず


出来ない事に焦点を置いて教える事と出来る事に焦点を置いて教える事は、同じように見えて全く違う事なのかもしれない


出来ない事を指摘するより、出来る道を伝えた方が気づきがあるから難しいし面白い


何かを教える人達が、出来る道を伝える方にシフトすると、自立する人が増えて、気が付く事を楽しめて、柔らかな人達が増えるのかもしれない

なんかちょっと飛び過ぎたかな?


出来ない理由ばかりを考えず、今の生活が出来ている理由を考えてみると、気持ちが豊かになるかもね

だいぶ飛び過ぎた?