サラリーマンと自営業の人の考え方の違いについては結構気になるので前にも少し書いた気がしますが、ちょっぴり別の観点から書いてみようかと思います
サラリーマンは、お給料をもらって雇われている人達
自営業は、サービスや物を提供して利益を得る人達です
投資だけで食べている人たちは除外させて下さい
先程の物を噛み砕いてみると、サラリーマンは自分の価値を会社が決めてお給料をもらっている人達
自分の価値を自分で決める事はなかなか無いです
そして、自営業はというと市場価格があるもののサービスや物の金額はほぼ言い値です
自分の技術の価値や物の価値を自分で決める事になるのです
サラリーマンが、外からの見た目や他人からの評価を凄く気にするのは当然かなと思います
だからって自己愛性人格障害者が多いわけでもないとは思いますが、そもそもの土壌がそんな土壌なのかもしれません
統計的にとかは興味がないので分からないです
ところで、サラリーマンは嫌な事でもお金を貰えればやります
仕事のうちだと思えば、理不尽な仕事でもやるしかないって思う事は多いのではないかと思うんです
でも、楽しそうな仕事が転がっていても、お給料が出ない物についてやる事はありません
脱サラするしかないものね
自営業者はというと嫌な仕事は断る事が出来ます
しかも、楽しそうな仕事が転がっていたら、もしそれがお金にならなかったとしても自営業者ならやる場合は多いのです
要するに、自営業はお金を貰えるか貰えないかがやるかやらないかの基準ではなく、その仕事に向かう気持ちがあるかないかが最大の基準なのです
自分で稼いでいるから、お金に執着してそうですが、お金という見える価値ではなく、実は自分の気持ちに価値を置く場合も多いです
特定のお客様にまた来てもらいたいと思えば、少しサービスしたりします
わくわくする出来事に、採算が取れなくても時間をかけることもありますし、勉強だと思い取り組む物もあります
気持ちだけで動く事は案外多いのかもしれないです
そんな気持ちが大切な世の中なのですが、サラリーマンにはこの気持ちを向かわせる事の重要さが分からない人が沢山いるのではないかと思うんです
そんな考え方の違いが、我が家の中では垣間見える時があります
サラリーマンである夫は、子供達を対価で釣る事が多いです
子供達が「嫌だ」と言っても、先に対価をおいて、それに対する見返りとして行動させる様なやり方をします
何も置かず、義務だ!とやらせる事も多いです
それに対して、私は子供達の気持ちがなるべく楽しくそちらに向かう様に声を掛けます
「今日はあなたがいてくれないと困るのよ、いてくれると助かるわ」と言ったり「よーいどん」で何かと競争しながら終わらせたりです
この中身は、気持ちだを向かわせれば、あとは何もなくても突き進むのだと思っている私と、気持ちなんか整えたところでやらなきゃ価値が無いと思っている夫の違いのような気がします
対価を貰わなくても、タダで物事が動くことを夫はあまり知りません
コミュニケーションの取り方として、必ずやったことに対して報酬が支払われると思うのです
なので、そこには義務しかなく、わくわくする様な気持ちはなかなか伴いません
サラリーマンとして働いている限りはいいと思うのです
でも、もしそれを家庭や他人とのコミュニケーションにバンバン持ち込まれたら正直迷惑だなと思います
どちらかといえば、損得の価値観であるこの考え方を子育てに用いようとする夫に、残念だなと思います
これ、多分なかなか治らないと思うんです
育ってきた環境でしょうか?
人間形成の初めの方に出来上がるのではないかと…
だから、小さい時から比較的サラリーマンやその家族は目に見える物にお金を掛け、自営業者は経験にお金を掛けるのではないかと…
その物の価値に見合った対価を払いたいと思っているサラリーマンが、価値が判断しにくい経験や気持ちにお金を支払わないのは、当然なのかもしれないです
そう思ったら、小さい頃から私や子供には自営業者のお友達ばかりなのも理解出来ます
夫にはもっと世界は見えないものがビュンビュンと飛び交う豊かな世界だという事を教えてあげたいと思っても、それが見える事はなかなか無いのかもしれないです
そして案外世の中、夫みたいな人は多いのかもしれないです
きっと、お互いになかなか分かり合えることも無いのかもしれないです
我が家ではちょっぴり異質な存在の夫は、世の中を私や子供達に教えてくれるかなり面白い存在です
この人がこの家にいなかったら、我が家はかなり偏って突き抜けた感じになっているのかもしれないです
まあ、人間はバランス力ですから、傾きすぎると倒れちゃいます
我が家はまあまあなバランスで動いているのかもしれないななんて思いました