そこに長くいる事の意味
「嫌ならそこから早目に逃げよう!」
これも、ありだと思うんです
でも、だからって「これが嫌だ、あれが嫌だ」と文句を言って転々としても、何も意味がないと思うんです
はっきり言って、自分の居心地が良くて成長出来るところはないと思うんです
この居心地が良いって表現も微妙なんですけど、要するに甘えられてダラダラ出来てって事です
だって、正反対ですから
自己愛性人格障害者のターゲットになってしまったら、はっきり言って逃げるしか方法はないと思っています
自己愛性人格障害者は一度ターゲットだと認識した人をそうではない認識に変えることはほぼないです
そして、ターゲットの精神を壊して生きていく人です
なので、自分を殺さないために逃げた方がいいと思うのです
自己愛性人格障害者に心も物も搾取されて壊れて行くよりは、その場所を失った方が生命の危機から脱出出来ると思うからです
とりあえず、生命が脅かされる状態からは逃げるべきだと思います
ただ、自己愛性人格障害者はどこにでもいます
「あの人が嫌だからやめます!」って事を繰り返して居たら、家族はそれでも認めてくれると思いますが、外にいられるところは無いと思います
「だから周りが悪いんだ!」では無くて、そこを解決出来ない自分の責任だと思うんです
どんなに嫌な人がいても、上手な距離を保ちながら、長く上手く周りとの関係を築いて行けることが大切なのです
だから、何でも長く続けている人は凄いです
そこに長くいる人は、長くいるというだけで凄いです
お局様とか嫌な人でも、そこに長くいるということは、初めがあった訳です
初めからお局様だった人はいないので、そこに居座る過程に意味はあるんです
表裏のある人がその会社でお局様として居座っていたなら、その会社のトップが表向きだけを整えておけばいいと思っている人なのかもしれません
親の傘の下では無い状態で、長く試験勉強を続けている人は、もちろん受からないのは勉強の仕方が不味いんじゃないって事はあるけれど、それをするために仕事と勉強を両立している事に意味があるし、家族がいれば家族に理解を得るために出来る事をしている事に意味があると思うのです
「長く勉強を続けていて全くどうしようも無いな」では無く、その人がその勉強を続ける事での、風当たりとかを考えた時に、長く続けるだけでも力がいる事なのです
競技とか、勉強とか、働くとか、学校とか、習い事とか、人間関係とか
とにかく長く続ける事は、それだけで意味があるんです
長く続けても、できてないじゃん!出世しないじゃん!給料安いじゃん!何も気がつけてないじゃん!では無く、それだけで意味のある事なんです
短いスパンで、バンバンと場所を替えのし上がって行くように見える人は本当に素晴らしいと思うけど、腰を据えてじっくりと長く時間を掛けて物事を達成する人はもっと素晴らしい人なのだと思うのです
自己愛性人格障害者達は目先の利益を得るためにバンバンと移動していく傾向にあるので、そういうトップには自己愛性人格障害者が多い事は当然だと思うのです
ガツガツと発展していく物や企業に関わるなら、そういう人間関係にも耐えられる精神力で望まないといけないのは当然だし、腰を据えて長期の計画を立てたいのなら、ガンガン発展していく周りを見てもブレない精神力が必要なのかもしれないです
そう思ったら、どちらも精神力は必要なんです
気持ちが弱った状態で、望める場所なんてそうそう無いと思います
気持ちは誰かに整えて貰うべき物ではないも思います
気持ちは自分自身で整えて、自分の頑張れる場所で生きていく事が出来れば、どんな所であっても居心地良く生きていけるのかなと思います
そう考えると、自己愛性人格障害者のターゲットを渡り歩いてバタバタと動いたこの5、6年は、ちょっとしんどかったなあと思います
ただ、自己愛性人格障害者のターゲットから逃れただけで、何も考えていなかったので、また次の自己愛性人格障害者のターゲットになる事を繰り返していたのです
そこから学ばないと、脱出出来なかったなんて、知りませんでしたから…弱ったまま移動しても、何も意味は無かったのです
とりあえず、今はブレないで周りとの距離を取る方が楽みたいなので、長いスパンで考えたいと思っていますけど、どうなることやら
長くいる人をバカにせず、場所を変わる人を羨ましがらず、自分の思いを持って生きていけたらいいなと思います