心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

尊敬ってなんだろう?

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尊敬するって、具体的になんだろう?

 

敬う?大切にする?偉いな〜って思う?なんて考えていたら、全くしっくり来なかった

 

一般的に目上の人を尊敬するって感じなのかな?

   

これって、私があまり好きではない考え方なのかもしれない

 

なぜか?

 

目上か目上じゃないかの判断が尊敬する前にあるから

 

年上の人とか、上司とか、親とか…

 

で、私の尊敬はというと「存在を認める」とか「頑張りを認める」という事だけでしかないのかもしれない

 

子供でも、大人でも、猫でも、植物でも、存在を認めて、生きていく頑張りが伝われば、素敵だし感謝出来る

 

素敵だ!と認めることが「尊敬」なのかなと思う

 

悩んで動けない人も、藻掻いているんだなと分かれば尊敬出来る

 

殻に閉じこもる事しか出来なくても、いつか出ていければ、そこで尊敬出来る

 

ずっと死ぬまで殻に閉じこもっていたら、多分私の目には入らないから、存在が認識出来ないから尊敬する事は出来ない

 

なんか、ちょっと良くわからないけど、世間一般の「尊敬しなさい」が、なんだか「自分より偉い人は賞賛して媚びなさい!」みたいに使われている気がして私自身が嫌だなと思ったらしい

 

かなり自己愛性人格障害的考え方に見えたのはなんだろう?

 

子供を尊敬する事がありえない感じかな?

 

藻掻いている子供達が軽視されている現状かな?

 

子供の反抗期を握りつぶす大人達の言動かな?

 

周囲の人を陥れながら、のし上がっていく人達の言動かな?

 

人をバカにしていて、尊敬なんて思いが欠片も無い人達が使う「尊敬」という言葉が、あまりにも毒々しく見えて、なんだか分からなかったかも

 

無限の可能性を秘めた子供達ややりたい事を自由にやる人達が軽視されて、周囲を蹴落とし搾取する人達が重視される世の中って、変じゃない?

 

「お金持ちだから、仲良くしておこう!」とか「有名人だから大切にしておこう!」とか…尊敬ってそんな感じなのか?と思ってしまうと悲しい

 

なんか本当はもっと豊かな言葉で「ありがとう!」とか「素敵です!」とか「生きていく上で取り入れたい!」とか「背中をみていたい!」みたいなそんな言葉なのかなと思うんです

 

そう思ったら、私の中の「尊敬」という言葉は、素敵でキラキラしています

 

そして、そんな尊敬出来る人達に囲まれて生きている私は結構幸せです

 

とりあえず、目上の人だけを尊敬する人は苦手です

 

そんな人の尊敬なんて、ペラッペラの偽物だと思っています

 

尊敬って良く考えたらフワフワした随分抽象的な言葉でした