自己愛性人格障害者が得られないものをいつか得よう!
自己愛性人格障害者がまた近くにやってくる
身の丈に合わない生活をし、環境が悪いと言ってその場を飛び出す
自分や子供の素晴らしさを分からない周りの人達の見る目の無さをバカにして、伸ばしてくれない先生の技術の無さに嘆き、あるべき全ての物が自分の前に揃わない環境の悪さに文句をいいながら自分にふさわしい居場所を探す
全ての物を揃えることは、もしかしたらお金を出せば可能なのかもしれない
だから、一部のお金持ちはお金に物をいわせて全てを揃える
お金で揃えた物はお金を払った相当の対価だし、当然の権利だから揃って当然のもの
何かに感謝することなんて無い
お金を払えた自分の財力に満足し、財力のない人を蔑み高みを目指して行くのだ
せめて、お金に感謝して揃った環境に感謝位してもいいかななんて思う
それとは対象的に、世の中には自己愛性人格障害者達が大金を払ってやっと得た環境と同じような環境やそれ以上の環境をお金を払わずして手に入れている人が沢山いる
そういう人はただ上手くやったのではなく、騙したのでもなく、「感謝」や「信用」という目に見えない物を対価にして、お互いを幸せに導きながら最高の自分を提供して、かつ、提供してもらっている
お金では買えない素晴らしい物をお互いに受け取りながら心を豊かにして、お互いを尊敬しお互いの環境を整え、支え合っているのだ
人間はロボットではないから、心のやり取りを大切にして生きていく事が出来る
でも、自己愛性人格障害者のような損得で物事を考える人達は、その人の心のを軽視する
環境は自分自身の心持ちで変わるのではなく、必ず移動して変えるべき物でお金で変えられると信じて疑わない
そして、その環境が悪いから上手くいかないのであって、決して自分に原因があるなんて思わない
見える部分の平等なサービスの提供を求めるため、見えない対価がいつか見れる事もない
だから、見えないところで心を支え合っている人にただでのサービス提供がある事を「ひいきだ」と非難する
そのひいきをする人を非難する
サービスを提供される人へも「えげつない買収をして人を誑かす」と非難する
そして、「そんな人間として最低な奴とは一緒にいれない」と言う
自己愛性人格障害者にはこの素敵な心を持った素敵な人のコミュニティーが一生分からない
自己愛性人格障害者の被害者は、このコミュニティーを感じられる人になれる人達です
いつかきっと、そこに仲間入り出来ると信じて、目指してみてもいいのかな