心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

人間100%なんてありえない

色々な事が起こって体や心が疲れると、小さな事で自分の不甲斐なさに目を向けるのがキツくなる

 

自分を正すのではなくて、自分の周りの人や物のせいにして事を解決しようとしてしまうのかもしれない

 

そんな出来事が、昨日あった

 

頑張ばらなきゃいけないと思いつつ、そこに気持ちを持っていけない自分が情けない

 

きっと、自己愛性人格障害者は自分を閉ざし、相手や物を責めて生きているのかもしれない

 

だとしたら、自己愛性人格障害者だって気持ちはいっぱいいっぱいだし、許容量もない

 

他人に許容してもらうことを考えてしまうのかな?

 

私も昨日そんな事をしていた

 

誰かにこの状況を分かってもらいたい

 

失敗も物のせい

 

 

自己愛性人格障害者がかわいそうとか、悪くないとかそんな事は言わない

 

あんなに最低な人達はいない

 

でも、どんなに素晴らしい人でもきっとしんどい時は他人を責める

 

「嫌な人」って思う事もあるかもしれない

 

でも、それが100%嫌な人になるわけじゃない

 

素晴らしい人が100%素敵な訳じゃない

 

素敵な人の醜いところを見てしまっても幻滅する事もない

 

自己愛性人格障害者の素敵なところなんて20%位かもしれないけど、100%最低な人間ではないないのかもしれない

 

そう思えば、なんとなく色々な事が許せるかも

 

自分の不甲斐なさも、「今は苦しいと」慰めて上げられるかも

 

100%ではないなんて本当は当たり前だけど、今の世の中、白黒はっきりさせないと気が済まなくなりがちかも

 

だから世の中ギスギスしてるのかな?

 

巷の炎上も報道もなんだかそんな事の繰り返しの気がする

 

皆、100%なんて無いのに100%を求めてたった2%でも否があれば叩くのか…

 

確かに否はあるけど、そこを叩くのは自分にも100%を求めることになる

 

自分にプレッシャーをかけ、自分の2%の否さえも責めることになる

 

もっと自分にも他人にも目を瞑ろう

 

今がだめでも、素敵に輝ける時もあると信じよう

 

昨日のダメな私も私だから、あまり無理せず休憩しよう

 

なんて思う