私がなぜ自分自身を考えるのか?
私がどうして小さい頃から人や自分を砕いて考えるのか?
考えてみました
私は親がだいっきらいだった
細かいところは色々あるがそんな事は今はどうでも良い
でも、だいっきらいな親でも親は父と母一人ずつしかしない
だから好きでいたかった
裏切られる事が多すぎて子供としては人間不信に陥ることも多かった
でも、このままだと自分の感情のコントロールが出来なかった
だいっきらいな親に振り回される中でも、自分の感情はコントロールしたかった
親の嫌いな所はどこか?そこを見なければ好きでいられるか?親として、人間としては認められるか?そんな疑問と格闘してきた
結果、親としては最低だけど人間としては魅力ある人なんだという結論を出した
長く付き合えば嫌なところは誰しもある
自分にだってある
でも、そこを見ない適度な距離を保てばその人と付き合えるかもしれない
それが人と長く付き合うコツだし、人間関係が上手く回るコツだと自分の中で理解した
これは相手が親だから出来たのかもしれない
絶対にそこにいなければいけない場合、そこで問題を解決する道を探る
場所を変えてしまえば逃げられる場合は、逃げてしまえばいい
だから、長く人と付き合ったり、長く同じ会社に勤めたり、長く勉強をしたり、長く同じ競技に打ち込む事はそれだけで価値がある
仕事や競技が出来る出来ないに関わらず、長くいる事に敬意を示したい
まあ、私も親のおかげで成長出来たと信じている
学生時代はなかなか周りともテンションが合わなくて難しかったけど、完全不登校になる訳でもなく(家の居心地が悪すぎて家にいるより学校にいた方がまだましだったし…)元気に幸せに過ごしている
実家の居心地の悪さと比べたら、小さな事にも幸せを感じられる
そんな今も全て親のおかげ
いい事だけが成長につながるわけじゃない
そう考えれば、自分も人も楽に楽しく幸せに暮らせると思ってる今の私です
これを読んでいる人は、何を感じているのかは分かりませんが、読んで喉の奥に突っ掛かってる物が取れる様な事があれば良いなと思います
多くの人の心と身体が楽しく楽になることを目指して、お仕事をしていけたら良いなと思います