心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

子供や自分に建設的な説明が出来てますか?

ちょっぴり偉そうですが…子供が人間関係で悩んでいる時や自分が悩んでいる時、子供に対しても自分に対しても建設的な説明をしますか?

 

気が付いたら私は自分にも子供にもかなり建設的な説明をしているんだなと思います

 

自分では、随分子供の頃から自分の事を建設的に説明しているので、これに意味があるのかないのか分かりませんでした

 

でも、私の中では当たり前だと思っていたこの説明が出来ないと、他人に対して否定的になるのかもと思ったんです

 

誰かにイジメられた時「あの子意地悪な子ね、近づかない方がいいわ」なんて言う親は実は多い

 

でも、「あの子きっと持っていた物が羨ましかったんだと思う、良いなって言えなかったから意地悪してしまったのかもね」って感じで言ってみると印象はだいぶ変わる

 

「嫌い、嫌、ダメ」って言葉だけじゃなくて「なんでそうなってしまったのか?」と考える様にします

 

これにどんな効果があるかというと「誰でも嫌な部分はあるし、嫌な感情もある」

「難しい時は、放って置いて、気持ちが落ち着いたらまた付き合ってあげたら?」って思いに持っていってみる

 

その人を全否定してもう今までの事は全部ダメでは無く、嫌な時もあるけどそのうちいい時もあるよとする

 

そうする事で、相手の嫌な部分はスルーして、自分にも相手にもチャンスを与えることが出来るんです

 

これによって、自分の嫌な部分があっても仕方ないと思える

 

嫌ね!ダメね!もうおしまいね!って親が言ってしまうと、子供が自分自身はキレイじゃないと親に受け入れてもらえないって思ってしまうかもしれない

 

親や大人が自分自身にもキレイな心しか受け入れ無いとなってしまう

 

そのうち、駄目な自分を受け入れる事が難しくなってしまうかも

 

もちろん、それはコミュニケーションを取る時に躊躇する原因の一つになるかもしれない

 

 

ちなみに、高校生の頃に私が先輩に言われた事がある

 

「お前は悪い事をしてもどんな気持ちでどういう風になぜ動いたかを説明してくれる。だからいいか悪い事をしたとしても、それをお前として受け入れる事が出来る」と…

 

これが今なら分かる

 

その理由に納得いけば、人はどんなに駄目と言われていることをしても、その人を受け入れる事が出来るのかもしれない

 

犯罪者がもしやむ終えない心動きを説明出来たのなら、その仕方のなさを受け入れてやり直すチャンスを与えてあげたいと思うかもしれない


人間に対してかなりキレイを求め過ぎていると、自己愛性人格障害者にも突かれる隙が出来る

 

周囲も自分ももっとゆったり認めるために、ひと呼吸置くということは建設的に考えるって事かもしれないなf:id:pilatesno-1:20210215112029j:plain