生きづらさの正体が分かればほっとするって
生きづらさの正体は色々ある
外から見て明らかに分かる障害は、比較的生きづらさの原因の種類としては分かりやすくて外からも理解されやすい
外から見て分からない障害は、自分でもよく分からないので、本当にしんどい
何が原因で目の前の事と向き合えないのか?
何が怖いのか?
理由が分からないし自分が分からない場合が多い
誰もが自分基準なはずなのに、特に日本の中学校は一般的の範囲がかなり狭いので、居づらいし苦しい
誰もが違うフィルターを通して世の中を見ているはずなのに、かなり狭い範囲の人だけが学校に無理なく通う事が出来る
学校に通っている人の中にもかなりの違和感を感じながら過ごしている人もいる
そしてもちろん、違和感を感じて行けなくなる人もいる
違和感はあるし生きづらいのに、それがなぜだかは大抵分からない
自分で調べても自分基準であるために何が違うか分かりにくい
具体的には…
人参が黄色に見えている人がいるとしよう
他の人はオレンジに見えているのに、一人だけ黄色に見えているとする
その人参が黄色である事を誰かに言えば、これはオレンジだと教えてくれるし、物の見え方がおかしいと言ってくれるかもしれない
でも、まず「これ黄色だよね」って改めて言うかといえば、どちらも当たり前と思っている事だったら言わないだろう
しかも、黄色だと言われたとして、言われた人は「オレンジだよ」と言ってくれる人ばかりではない
当たり前の事だったら「変な事言ってるな」とか「冗談かな」とかでスルーしてしまう人がほとんどかもしれない
その人の黄色に見えるフィルターは指摘されないまま、年月が過ぎるだろう
そうなった時に、食物の彩りとか、ジュースにしたときに混ぜた色など少しずつ皆とは話が噛み合わない所が出てかるかもしれない
皆が言っていることが変だなと思いつつ生活しているのに、相手が多数派だったりすると、自分には黄色にしか見えないのに自分の目が信用出来なくなる
人は自分をバカにしているかもしれないと思うと、人も信用出来なくなる
黄色かオレンジかなんてほんの少ししか変わらないのに、その違いが少しずつの違和感となって、不信感や自信喪失に繋がる
だから「実はあなたが黄色だと思っていた人参は皆んなはオレンジに見えている、もしかしたらオレンジの物は全て黄色に見えているのかもしれないね」と具体的に認識がずれている場所が分かると今までの違和感が全て理解できて楽になる
こんなことが、日常的に自分の色々な場面で起こるとしたら、ストレスだししんどい
親が見ていていてもなかなか分からないし、ましてや自分で気が付くのが凄い難しい事なので、何かの障害があると分かったとしても全貌が分かることはなかなか無い
「お、黄色に見える人もいるのね!」って思って認めてくれる世の中なら良いけど、日本は「オレンジにしか見えないのに何言ってんの?」みたいな国だから、ほんとキツい
キツいからこそ、その原因が分かるとほっとするのかもしれない
やんわりと大きく受け止められる世の中なら、細かいフィルターの違いも気にならないし、原因が分かったところで治るわけでもないその事実の確認にほっとする事もないかもしれない
随分窮屈な世の中になったからこそ、発達障害やHSPとか細かな分類や診断が必要になってるのかもしれないなと思う
普通の人なんていないのに、普通でいなきゃいけない感じの日本社会って面倒だなって思う