心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

察してほしいと期待するのは傲慢

人に察してほしいと期待するのって、その人を信用しているかのように思う

 

でも、それって凄い傲慢

信用しているどころか、相手が自分と同じように動いて当然と決めつけているだけ

 

「私の頭の中を分かってほしい」そんなこと他人に言って「いいよ」って答えが返って来ることって無い

 

しかも、その察してほしいという期待に添えなかった相手に「察してくれなかった」と罵倒する人もいる

 

何も言わずに、頭の中を見てやってもらって当然で、やってくれなかったら罵倒する???

 

こんな理不尽な事って無い

誰も出来ない

 

せめて、頭の中は見せてあげないと、なんで怒っているかも分からない

 

親子でも家族でも、他人の頭の中は分からない

だから、もし期待しているなら頭の中を見せてあげないといけない

 

ところでこの察してほしい人達、何も言わず、何もせず、相手から察してもらってやってもらおうと企んでいる物凄く傲慢な人達だ

 

自分で伝える努力はせず、言ってないから責任も負わず、でも利益だけは得たい

 

「私はあなたがこのプレゼントをくれると信じていた!」

が頭の中で思っていただけでも、そのプレゼントを貰えたら当たり前だと思う


でも、本当はそのプレゼントをもらえるのって、超能力みたいな事のはず

その期待を相手に伝えていないのであればそのプレゼントがもらえたのは小さな的を当てた位難しい事で、とんでもなく喜ばなくては相手からしたら割に合わない

 

でも、実際は自分が予想していた事だから当たり前

 

そして、もしそれ以外のプレゼントが来たときは、物凄く腹が立つのかもしれない

 

相手からしたら、考えて考えて買ってきたものなのに、一生懸命あなたの頭の中を察して選んだのに怒られる

 

色違いだったりすると、近いが為にますます腹が立つかもしれない

 

こんなコミュニケーションのとり方をしている人の周りの人はとっても迷惑

 

相手には言葉で伝えられないくらい理不尽なお願いを頭の中で考えて、それに添わなければ機嫌が悪くなる事を繰り返す


そんなバカバカしい行為を理解してやめないと、周りを傷つける


自分の期待に添う人なんて現れない

 

キチンと相手に伝える事がまず第一歩

 

それを言える自分であるかを考える事が出来れば、過度な期待はしないし、期待通りの事をやってもらえれば感謝出来るし、それ以上ならそれ以上の喜びに繋がる

 

結果、相手が出来なくても、自分が伝えられなかった事を反省出来る

 


「お腹が空いた」と言わずにイライラして、ご飯を作ってもらいたい事をイライラでアピールしながらテレビを見ている子供のようでは迷惑ですから、「お腹が空いたから何か作ってほしい」とまず伝える事

 

もちろん「作ってほしいと頼んだのにテレビを見てるなんてどうなの?お手伝いしてね」とかも言う事

 

そこで「お手伝いはしたくない」となったら「じゃあ、早くは出来ないよ」と返せばいい


何ならゆっくり一緒にテレビを見たって構わない

 

これがなんの言葉も無ければ、お互いにお互いを察してもらいたくてイライラが募る

 

相手にやってもらうのが当然になるし、出来ないことにも腹が立つ

 

過度な期待をする事は、相手も自分も無駄な労力を使うし疲れる

 

 

言えない事はやってもらわなくても気にしない


言われていない事は出来なくても気にしない

 

だからこそ、言っていない事をやってもらった時は感謝して、相手から言われていない事は余裕があればやってあげればいいのかもしれない

 

なんて思う