心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

小学校の制服が日本の子供達をだめにする

制服のスカート

あれって運動が出来なくなる大きな原因だと思う

 

女の子が運動することについて、教育者はどう思っているのだろう?

 

学校の往復は制服でも構わない

どこの学校?って分かる手段としては悪くない

 

でも、学校に着いたら休み時間に動き回るでしょう

スカートをはいてれば跳んだり跳ねたりは自然と制限される

 

それを女の子らしくて良しとしている文化なのだろうか?

 

長い休み時間に外で遊んでる制服姿の子供達を見て、女の子をそんなふうに扱う文化が見える

 

今までの学校を見ても、私服の小学校の方が運動は明らかに出来る

制服は行き帰りだけで充分だ

 

そして、私服がいい理由は他にもある

 

子供達の自己主張

 

どんどん華美になるんじゃないか?

なんて心配をするお母さん達は多いのではないかと思うが、いつの時代もそんなに華美になったりしない

 

華美になるのは、そこを競う親達の問題だから、実は子供は関係ない

 

かわいい服を着ているからレベルが上だとか、そんな貧相な価値観で生きている人達の集団に入らなければ良いだけ

 

子供達は結局動きやすい格好でいく

今日は体育があるから着替えやすい格好で、今日は寒いから暖かい格好でとキチンと考えるようになる

動きやすい方を取るか可愛い方を取るかは日々考える

 

上下の合わせだって、毎日やっていれば慣れてくる

 

朝から考えるのがしんどい子は前日に用意をする

 

制服が子供達の考える機会やしっかりと動ける機会を奪っていると私は思っている

 

皆が同じで、少し違う所があると認めない保守的な気質はこんなところからも育つのかなと思う

 

違う服をきてくるから、その人の性格や個性が外から見て分かるし、それを認め合えるのだと思う

同じ肌の色の人ばかりな日本で、個性を認める文化を育てるのなら、小学校は私服であって欲しいと思う

 

小学校の頃の動きや感受性の発達は他のどの時代よりも大切だと思うし、中学高校とは全く違うのだ

 

差別を無くす事は差別をしない事ではなく、他人を認める事にあるのだと気がついて欲しいなと思う

 

いじめはしない、差別は良くないと教えるより、皆が違う事を楽しんで受け入れた方が、断然居心地がいい事をもっと知った方がいい

 

つまらない人にならないために、心を豊かに育つ社会を目指すことは出来ないのかな