自己愛性人格障害者の「みんな」
自己愛性人格障害者は「皆があなたのことを〜」という
「皆が邪魔だと言っている」
「皆があなたのことを馬鹿だと思っている」
など
では、皆はどこの皆だろうか?
自己愛性人格障害者の皆は、実は自分一人でも成り立つ
なぜか?
自己愛性人格障害者には取り巻きがいる
取り巻きは全て自分の気持ちと一緒だ
必ずや同じ意見なのだ
だから、自分が思う事は取り巻きも当然思っているし、賛同してくれる
取り巻きではなくても、自己愛性人格障害者が黒と言えば白でも黒と言う人は何人もいる
だから、そこも自分とは同意見なのは当然
結局、皆なのだ
「皆」を裏付けるために、人に同意を求めて一人ひとり聞きまくる
人の時間を使うことも省みず、自分の意見が正しい事を確認する
「そう思うでしょ!」に「そうは思わないこういうところは気になるけど」と言ったら、そうは思わないって所は取らない
こういう所は気になるの部分だけをとって、ほら皆気になるところはあるとなる
結局、どんな意見を言っても話した人は皆に含まれる
自己愛性人格障害者が「皆が言っている」といったら、「具体的にどなたですか?直接伺います」と言えばいい
「いや、本人には聞かない方がいい」
「今は忙しそうだし、そんなこと、人の時間を使って非常識だ」
なんて言ってくる
自分の行動は棚に上げてほんと困った人達だ
「皆」がもし自己愛性人格障害者一人なら、その言葉は意外と怖くないのかもしれない
好きな人がいれば嫌いな人もいます
自己愛性人格障害者は存在感があるけど一人です
そして自己愛性人格障害者が気にする相手には魅力があります
自己愛性人格障害者が敵だとしたら、必ず味方がいるんです
周りを見ましょう
必ず、自分をいいと言ってくれた人がいるはずです
その人の事を見ましょう
自己愛性人格障害者に苦しんでいる人は自己愛性人格障害者しか見えていない場合があります
見えていないのではなく、見ていないのかもしれません
皆が一人に見えますように!