心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害の怒る理由

自己愛性人格障害は怒る理由が分からない

そもそも一環性なんてない
物凄くこだわりがある訳ではない
気にしている訳でもない 


こうしたら、目の前にいる人間より特別に見えるかな?
カッコ良く見えるかな?
さすが!って賞賛してもらえるかな?
と常に考えている
裏を返せば、相手をどれだけ馬鹿にできるか?
かっこ悪く見えるか?
それだけだ

そして怒るときは何か怒る理由がある訳ではない
罵声を浴びせて、ストレスと劣等感を解消したいから、罵声を浴びせてもオッケーと思える正当な理由を探しているだけなのだ

だから、昨日はここで怒ったからここは押さえておこうと思ってある程度動いたとしても、まだストレスが溜まっていれば、他を探して怒るのだ

いつ怒るのか?
何でキレるのか?
周りはさっぱり分からない

何度も言うが、怒りたいから怒っている
事象は何でもいいのだ

しかも、本人のいい悪いの軸がない
外から見てどうか?が基準だ

普通なら昨日嫌いだと言ったものを今日好きと言う事は恥ずかしくて出来ないけど、自己愛性人格障害は恥ずかしげもなく言える

さっき言ったじゃん!
なんて事はザラだ

だから、もしある程度の地位にいる自己愛性人格障害者をおもてなししなければいけなくなると、色々な事に気をつけなくてはならない
気をつけたにも関わらず、気分が悪ければ何かを探して怒る

次はその事項が加わりどんどんとルールが細かく自然にレベルアップしてくる
それは、自己愛性人格障害者が強要しているわけではないがとにかく怒られると人格を否定するので、それをされたくないと思う人は、そのガチガチにレベルアップしたルールを守ろうとするわけだ

こうして、自己愛性人格障害者が直接何も言っていないのに、周りが賞賛崇拝するシステムが出来上がる
そもそも、賞賛される事が当たり前だと思っている自己愛性人格障害者がその賞賛がちょっと自分には合わないな〜なんて思うことはない

当たり前たのだ

賞賛しない人は自分の凄さが分かってない馬鹿なやつだ
自分の凄さが分からないやつは分かるように教えなければならないと、力を誇示して相手を不当に貶める
自分の影響力の凄さを思い知らせるのだ

そんな事されると周りも困るので、新しい人には周りの人が教えてくれる

機嫌の悪いときは近づかないのが1番だ
それ以外になんの方法もない
怒る理由なんてそもそもないのだから