心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

境界を見極める

子供達の参観日、見ていて思うことがある
お母さんが子供のためと言ってやっていることのどのくらいが本当に子供のためなのか?

幼稚園の参観日
作品を作るのを少し手伝ってくださいの指示に、全てを作るママが多いのに唖然とした

可愛いでしょう!と
ママの作品よね
出来上がりに満足のお母さん達

当たり前のように、上手にハサミを使えない子供達

中学生の修学旅行
中学生にもなって、自分の用意を自分でしない子供達が続出
どこに何が入っているかも分からない

忘れ物が無いようにお母さんか用意してくれたのだが、それは本当に子供のため?
自分で用意も出来ない子に育てて、恥ずかしげもなく母に用意してもらった事を皆に言う子供達

小さい子を静かにさせたいから、お菓子を買ってあげる
別にいいと思う
でも、それって子供のためではなく自分が楽するためだ
その認識を間違えると、子供の為に買ってあげたのだから、その見返りとして子供に静かにしてもらうことを要求していることになる

自分が楽するためにしたのだと思えば、毎回もやるのはおかしいし、もし静かにしてもらえなくても、それは手段が間違えてただけだと思える

でも、そうじゃない
買ってあげたのに静かにしないと頭にくる

用意をするのも、忘れ物をする我が子がみっともないから?ではないのかな

子供は都合のいいおもちゃではなく一人の人間だ
意思も持つし、自分で生きていく力をつけるのが子育て

その行為はいったい誰のためにやっているのか?
キチンと境界が分からないと、子供はお母さんの為に何かをやらないといけない

お母さんが静かにしてほしいから子供が静かにするのではなく、静かにしないと迷惑がかかるし、子供自身が恥ずかしいのだ

お母さんがそこまで責任をおう必要はないと思う

しつけができてないのは問題だが、そこで静かにできる年なら理解して静かにできるように、自分が困る事、ママが困るわけじゃないことを言わないといけないと私は思う

ママが作品を作りたかったなら、家でやればいいのに…なんて、言えないけどね