心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

人によって態度を変える人?から離れたい理由から気がついたこと

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書いて整理しようと思います

 

ある集まりでマニュアルが配られました

 

各々、そのマニュアルを自分のカバンにしまったり持っていたり自分の持ち場に置いていました

 

少し経ってマニュアルを自分のカバンにしまってしまった方が、持ち場に置いている方のマニュアルをぺらっと開いて見ていました

 

すると…「私のですが!!」と持ち主が物凄い形相で飛んで来ました

 

「分かってます!」と言ってマニュアルを見ていた方はその場を離れましたが…

 

皆同じマニュアル

 

減るわけでも無いし、そんな主張しなくても…見たい人が見ればいいじゃない?なんて思いました

 

ただただ怖い…

 

その後、その方は普通に喋りかけて来ましたが、近づきたく無かった…

ニコニコ笑って話をしても怖かった…

 

その方は、気に入った方とそうでない方を分けて態度を変えているように見えました

 

こだわりも強そう

変なところに触れるとヤバそうです

 

人は、他の人への対応も見ています

自分だけに優しい人を見て、「優しい人だ!」と感じるのではなく、誰にでも優しい人を見て「優しい人だ!」と感じるのです

 

人によって態度を変える人はその事に気がついていないんです

 

人によって態度を変えて対応しても相手は気がつかないと思っているなんて、とっても他人をバカにしています

 

ヤバイです

 

それってちょっぴりどこか抜けている

 

人間をひとつの角度からしか見れていない

 

ということは…たぶん他人も自分に向けた顔だけで判断します

 

そもそも、私とはコミュニケーションがかなり難しい人かもしれません

信頼関係も築けない

 

誤解も生まれやすい人なのかもしれません

 

そう思ってその場は距離を置きました

 

なぜ、自分はこの人と距離を置きたいと思ったのか?そんな事を少し解剖してあげると、自分がただ人と上手くコミュニケーションが取れない訳ではないと分かって、自己肯定感を下げずにいられる気がします

 

自分が一人でいる事になる孤独感よりもその人と上手くやることのストレスの方が大きいだろう事に気がつけば、一人でいることが寂しくはないし案外自由な立場だと思えるかもしれないです

 

結局、人によって態度を変える人が目の前に現れる事で自分の考え方を問われていたのかもしれません

 

苦手な人の先には自分がいるって言うけれど、それっていまいちピンと来ない

 

でも、今回書いてみて分かった気がします

 

ただ、こんな人は嫌だなあ~からちょっぴり抜け出た気がして進歩かもです!

 

あのちょっぴりの違和感から学んだ事は実はとっても大きいことでした

 

頭の中がスッキリ整理できて満足です

 

こんな自分の頭の中を整理しているブログですが、いつもお付き合いありがとうございます

 

 

 

細かいルールと仕事量で追い詰める自己愛性人格障害者

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気がついたら何も更新せずの期間が…

 

バイトや学校やクラブやPTA等、人が集まると必ず自己愛性人格障害者がいる

 

ちょっと仕切りたがり?みたいな人

 

この人達、その場所が長くなってくると「この方がやり易い」という名目の元に自分ルールを作り出す

 

例えば書類チェックで見なくてもいいところを確認するとか…

 

で、「一応そこの確認までやっているよ」と自分より後輩にアピールする

 

正直、それって要らなくない?ってある程度経つと分かるけど、初めは分からない

 

その人に仕事を教えて貰うと3つの確認作業でいいところが、6つに増えている…なんて事がある

 

周囲は3つしかチェックしないでいい「簡単な仕事」と思っているにも関わらず、6つのチェックをしなきゃいけないちょっぴり面倒な仕事になる

 

周囲が思っているよりもその後輩の仕事量は多いので、初めてで覚えるのも大変なのに全てを完璧にこなすなんて難しい

 

本当は3つを完璧にこなせばいいはずなのに、その3つの方にミスが発生する場合もあるだろう

 

ミスが生じた時の周囲は「あの後輩はあの簡単な仕事さえ完璧に出来ないの?なんだか無駄なことまでチェックして」と評価する

 

これが、自己愛性人格障害者トラップ

 

やっぱりベテランの自己愛性人格障害者は仕事が出来るよね、新しい人は使えないね

 

となる

 

自分より上の人から、その言葉が出るのを待ち構えて、「あの人がこんなこと言ってたよ」と本人以外にそっと言いふらす

 

もちろん、そんな評価を毎度されると新人としては厳しい

 

そんな人の下には人は育たず、バイトなんかも辞めていく

 

特に物凄いいじめをしているわけではなくても、分からない人をそっと追い込めばいいのだ

 

「自分は出来る、あいつは出来ない」という比較をして、自分を保って生きている

 

ほんと困った人達だ

 

こんな人たちをどうかわすか?

人の話はきちんと聞いてほどよく距離を保つ

何が本当に大切かどうか?は自分の基準で決める事

そのために、自分にかかわる事だけではなく広い視野で物事を見る事

 

こんなところだろうか!

学びがあるなあと思った出来事でした

 

 

稼いでるのは俺だ!

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「誰のお陰で食べれてると思ってるんだ!」って言葉

 

これ、一度言ってしまったら取り返しが着きません

 

この言葉を言った瞬間に、この人は稼ぎだけの人になっちゃうんです

 

それ以外の価値がその人に無くなってしまうんです

   

それって、これを言った人にとって一番避けたい事なのかもしれません

 

そもそも、この言葉を言う原因は劣等感にあります

 

稼ぐ力のある自分と稼げない価値の無い妻や子供という力関係を誇示しようとしている

 

この人にこれ以外の価値が沢山あったとしても、本人はそれが分からず、しかもそれ以外の価値をあきらめているということなのかもしれない

 

なんだかさみしい

 

価値のない人なんていないのに、誰かに向かって「価値がない」と思った瞬間に自分の価値を問うことになるのかもしれない

 

この人はこの先の人生を価値のない家族と過ごすのかな

 

価値のない家族に囲まれて、稼いだだけの人生に誇りを持って日々を過ごすのかな

 

相手の心に必ず伝わるその思いは、たぶん本人の欲しい温かな心を生み出さない

 

ほんと、残念

 

 

 

自己愛性人格障害者の取り巻き1番の地位

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自己愛性人格障害者の取り巻きには明確な順位がある

 

しかも取り巻き1位という地位にはものすごい意味があるんです

 

だから、自己愛性人格障害者の取り巻き1位の座は死守しなければならないし、奪わなければならないのです

 

それは熾烈な争いです

 

 

取り巻き1位には、下位の取り巻き達全てを統括する権限が与えられます

自己愛性人格障害者はそのグループのトップではありますが、束ねたい訳ではありません

 

自分の思う通りになって、自分が崇められていればいいのです

 

その組織を仕切って、下位の人達の意見をトップの自己愛性人格障害者に伝えるのは基本この取り巻き1位の役目

 

誰かがヘマをして、責任を負うのはこの取り巻き1位の責任

 

だから、いつも自己愛性人格障害者であるトップに怒られている

 

でも、これは信頼の証…

 

トップの右腕のような存在です

 

1番は唯一自己愛性人格障害者と話せる関係だったり、特別に家族が優遇されたり、金銭的にもちょっぴりおまけをして貰えたり…

 

だから、取り巻き1位を死守するために、足を掬われそうな部下が現れると嘘をついたり情報を故意に流さなかったりしながらそっと陥れるんです

 

取り巻き1位の座を奪うために、他の人達が悪口を言っていた等のトップに有用な情報を自己愛性人格障害者に告げ口します

 

どこで何を聞いて誰から告げ口があるか分からない気持ち悪い集団なんです

 

皆が疑心暗鬼になるし、皆が敵です

 

まるで壁に耳があるような…

 

自己愛性人格障害者のグループが上部だけの仲良しを装うのはこのため

 

皆が心で軽蔑しながら表で誉め合っているんです

 

突然どこからかトラップが仕掛けられることもあって、「ここだけの話あの人ってちょっと嫌よね~」なんて言葉に「うん」と相づちしただけで、「あの人悪口言ってたよ~」なんて言われちゃう事もある

 

あっと言う間に犯罪者みたいに言われてしまったり…

 

信頼関係を築けないグループなんて、心が荒みます

 

子供にとってもきっと良くないでしょうね

 

やっぱり自己愛性人格障害者は媚びるのか~

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もう、せかせかとしてて苦手すぎる

 

苦手な女性自己愛性人格障害者上司に特別扱いを受けてご満悦なせかせかアルバイトさん

 

出来る自分を周囲にアピールしたいのか、電話も社員さんより取り、仕事も率先してやる

 

上司の手となり足となり、気が利く事を他の方達に分からせる様に、「これ、やりましょうか?」「~さんが言ってました!」と声を掛ける

 

ほんと、せかせか…間髪いれずに…

 

「~をお願い出来る?」という上司に

 

「はいっはいっ」「分かりました」

 

被せるような返事と、Noと言わない従順さ😵

 

私にも「終わりそうも無いなら手伝いましょうか?」と…何度も

 

他にお仕事を探さないといけなくなるので、丁寧にお断りしましたが…

 

ほんと、驚くほど従順な下部

 

自己愛性人格障害者から評価されたそんな取り巻きちゃんには、その地位にあやかろうと似たような評価を頂きたい自己愛性人格障害者さんが群がります

 

私達は他の方達とは、違います!と線引きをしようと必死です

 

そして、その線引きをしたい方達が気が利く事をアピールするために勝手にお仕事に細かくルールを作ります

 

忖度です

 

気がつけば、そんな細かいところまでルールを作らなくて良くない?って思うくらいの細かいルールがその方達を主導に作られてしまっているんです

 

自己愛性人格障害者上司のお気に入り」厄介です

 

そろそろ潮時?

こりゃー、ゆっくりフェードアウトしなきゃ

 

自己愛性人格障害者は笑顔と幸せが嫌い

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自己愛性人格障害は常に競争して生きている

 

早さを競ったり、レギュラーを取ったり、誰かの一番になったり、役に立つことや頼りにされること、自分に目がいくようにする事、人が集まる事やいいねが沢山もらえる事なんかはもちろん、不幸な出来事の経験とか、それでも頑張ってる自分とかまで競っている

 

役に立つとか、けなげに頑張る自分なんかは、他人と競って勝てれば承認欲求が満たされる

 

人が集まるとかいいねが沢山もらえるなんて、目に見えたり数字で分かるものも分かりやすくて大好きなはず

 

他人に勝つことは他人を蹴落とす事だから、「その人よりも自分が凄い!」とか「自分の方が可愛がられてる!」という結果は、自分はその人よりも充実しているし幸せだと認識出来る

 

ただ、幸せって個人の価値観で、数字で表せる物じゃないし見ても中身までは分からない

 

同じ朝日を見ても、余命宣告された人にとってはホッとする特別に幸せな時間かもしれないし、今から憂鬱な仕事に行く人には最悪な日の始まりかもしれない

 

そんな物凄いアバウトな価値観で幸せがなりたっているのだから、何でも競って勝つ事で幸せを得たい自己愛性人格障害者にはなかなか分かりづらいものかもしれない

 

勝ったって蹴落としたって実は何にも手に入らない事にも気が付かず、ニコニコして幸せそうな人と競い続けてしまう

 

得体のしれないお化けみたいな幸せを奪ってやろうと必死になっても勝つのも奪うのも実はとっても難しい

 

だから、ニコニコと幸せそうな笑顔にそっと近づいて、その笑顔を奪うことに固執して、やり過ぎても気がつかないのかもしれない

 

はたから見たら自己愛性人格障害者は物凄く満たされているように見えるのに、まさかそんな事はしなさそうなのに、笑顔と幸せを奪ってその笑顔と幸せを自分の物にすべく日々闘っているのかもしれないです

 

自己愛性人格障害者にとって他人の笑顔と幸せを奪う事って趣味みたいなもので、日常の何気ない出来事なのかもしれません

 

物凄く近づいてそのターゲットにならないと分からないこわーい趣味

 

ほんと、参っちゃう

 

脱した?


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ここに足を止める人は、たぶん色々な事に悩んでいる人かなあと思います

 

一時期どっぷりとブログを読みあさって去っていくんだと思います

 

その時、「あー、脱したな!」って思っているといいなって思います

 

今はとっても良い時代で、自分と同じような境遇や思いの人が沢山いることをネット上で確認できたり繋がったりが簡単に出来ます

 

一歩は大変ですが、昔に比べれば結構自分次第な世の中だと思います

 

それは、自己愛性人格障害者の標的だろうが、身体的な障害だろうが、ちっぽけな悩みだろうが関係無く…

 

なんて、パラリンピックを見て思いました

 

パラリンピックとは、障害があっても元気な私よりも何倍ものパワーとポテンシャルを持って生きている人達の競技会なんですね

 

いやー、真似できません

 

尊敬しかありません

 

それと同時にその周囲にいる人達のパワーや思いの強さに圧倒されます

 

きっと、過去にどん底で情報を漁った時代があったんだろうななんて想像しています

 

どこかから「脱した」人達は、辛い思いもしてると思いますが、皆と同じ周囲と同じで生きてきた人達には無い宝物を持っています

 

キラキラしてますもの

 

ぜひ、脱した方達は脱した自分に気がついて前の自分にはない世界を見ながら楽しんで生きていって欲しいなあと思います

 

この世界は死ぬまでの有限の世界ですから、そっと手を繋いで力を貰って与えて生きていきましょう!

 

そんな方達の通り道になっている事を願っています

 

ふと、私の頭の中を覗いて通り過ぎる人達が沢山いる絵を想像してしまった!

 

皆さん、物好きですのぅ~