心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者は笑顔と幸せが嫌い

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自己愛性人格障害は常に競争して生きている

 

早さを競ったり、レギュラーを取ったり、誰かの一番になったり、役に立つことや頼りにされること、自分に目がいくようにする事、人が集まる事やいいねが沢山もらえる事なんかはもちろん、不幸な出来事の経験とか、それでも頑張ってる自分とかまで競っている

 

役に立つとか、けなげに頑張る自分なんかは、他人と競って勝てれば承認欲求が満たされる

 

人が集まるとかいいねが沢山もらえるなんて、目に見えたり数字で分かるものも分かりやすくて大好きなはず

 

他人に勝つことは他人を蹴落とす事だから、「その人よりも自分が凄い!」とか「自分の方が可愛がられてる!」という結果は、自分はその人よりも充実しているし幸せだと認識出来る

 

ただ、幸せって個人の価値観で、数字で表せる物じゃないし見ても中身までは分からない

 

同じ朝日を見ても、余命宣告された人にとってはホッとする特別に幸せな時間かもしれないし、今から憂鬱な仕事に行く人には最悪な日の始まりかもしれない

 

そんな物凄いアバウトな価値観で幸せがなりたっているのだから、何でも競って勝つ事で幸せを得たい自己愛性人格障害者にはなかなか分かりづらいものかもしれない

 

勝ったって蹴落としたって実は何にも手に入らない事にも気が付かず、ニコニコして幸せそうな人と競い続けてしまう

 

得体のしれないお化けみたいな幸せを奪ってやろうと必死になっても勝つのも奪うのも実はとっても難しい

 

だから、ニコニコと幸せそうな笑顔にそっと近づいて、その笑顔を奪うことに固執して、やり過ぎても気がつかないのかもしれない

 

はたから見たら自己愛性人格障害者は物凄く満たされているように見えるのに、まさかそんな事はしなさそうなのに、笑顔と幸せを奪ってその笑顔と幸せを自分の物にすべく日々闘っているのかもしれないです

 

自己愛性人格障害者にとって他人の笑顔と幸せを奪う事って趣味みたいなもので、日常の何気ない出来事なのかもしれません

 

物凄く近づいてそのターゲットにならないと分からないこわーい趣味

 

ほんと、参っちゃう