心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自閉症スペクトラムの人へのアプローチ

自閉症スペクトラムは人それぞれだから、その人の特性とかはなかなか分からない

 

親でも難しいと思う

 

何が重要か?

何が一番か?

 

を、とりあえず言ってあげないといけないのかもしれない

 

今重要な事は人それぞれ違う

 

でも、何となく大人になるに連れてその順序を考えられるようになる

 

でも、自閉症スペクトラムの人は、そもそも物の捉え方が違う

 

誰もが重要だと思う所を見ていなかったりする

 

周りが、その重要度を分かりながら観察して次の行動に移るところを、全く見ていないとしたら、皆一緒に行動するのは難しい

 

だから、次は何に注目してほしいのか?何を行うのか?しっかりアナウンスしてあげないと、不親切なのかもしれない

 

誰もが分かると信じて忖度してしまう事は、自閉症スペクトラムの人が立ち尽くしてしまう結果を招いてしまうのかもしれない

 

見てるところが違うって分かっていても、やっぱり自分が常識だと思ってしまうのだから、人と人との距離ってなかなか近くはならないものなのだ

 

 

他人を理解するのは難しい

 

なのに、他人との境界線を引けない人は増えている

 

なんだか随分アンバランスで、無茶な事を誰もがしているんだなと思うと、うまくいかないことが当然だと思えるかもしれない

 

もっと、誰もが自由に生きていいと思う

 

自分のやりたい事をして他人のやりたい事を認めてあげられるようにならないと、私は我慢してるから、周りにも我慢を強いて当然という窮屈な世の中で苦しむ人ばかりになりそうだ

 

捉え方が違うなんて面白いって思える自分でいたい!

「私は直接言われていない」と自己愛性人格障害者は言う

自己愛性人格障害者は自分なりの解釈が凄い

称賛されるときは1人2人が、ご機嫌取りで称賛しただけでも、「皆に称賛されている」と解釈する

そして、称賛されている素晴らしい私だと振れ回る

自慢だけど、ただの自慢ではない

「自分を讃える人がいる」という自慢 「あの有名な人に、あの見る目がある人に〜された」というなんだか裏付けが有りそうで無さそうな自慢

自分から言うのって凄い

そういう時は、実は直接本人から言われてなくても全然平気

誰かが「あの人があなたの事見てたよ」って言っただけでも「あの人が称賛してくれた」という

何なら誰も言わなくても、目があっただけで「あの人が私だけを特別気にかけてくれた」と思う

そりゃもうご都合主義

対して、他の人から注意を受ける時はというと「こういう行為はやめた方がいいと思うよ、他の人に先生も言っているし」と言ったとする

自己愛性人格障害者は「私は直接そんな事を先生から言われてない」と言う

それがなぜだか得意気だ

どうしてか??なぜ得意気なのか?なんで違和感があるのか?その時は分からなかった

そう、言われない私はあなた達とは違って先生からは特別扱いだから、大丈夫!という事だ

もちろん、そんな注意なんて聞かなくていいし聞く必要もない

だって特別だもんっていう優越感に浸ってご機嫌だ

ご都合主義にもぼどがある

そのうち誰も注意しなくなる 話も通じない

周りもいい事しか言わなくなるからどんどんとお山の大将になっていく

期待値ばっかり高くなるから、自己愛性人格障害者のイライラも募るだろう

自分を正当に評価するのは難しい いい事も悪い事も半分位で受け取れる自分でいたい

暴力は自己愛性人格障害者のツール


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言葉の暴力も身体の暴力も、自己愛性人格障害者にとっては、一つのコミュニケーションのツール

 

暴力が無いとコミュニケーションは成り立たないと思っているし「暴力が必要な時だってある」というのが根本的な考え方

 

「犬だって云う事を聞かなきゃ叩いたり蹴ったりするだろう」と彼らはよく言う

 

そう、子供等は犬と同じなのだ

 

そもそも、人間関係を並列で考える事が無い彼らにとって、親子である場合は確実にそこに主従関係がある

 

字のごとく、親が「主」で子は「従」となる

 

子供は従うのが当然だし、その当然の事ができなければ、犬の様に叩いて教えなければ分からないと思っている

 

自己愛性人格障害者は子供には言葉も通じないし、理解出来る能力も無いと思っているから、犬と同じ意思疎通の出来ない動物なのだと思っている

 

そういう関係性を親子で築いていくと、子供は自分を犬だと思う

 

大人になって子供が出来れば、当たり前の様に、犬として扱う

 

だから手をあげる

 

こんなに暴力やハラスメントが問題になっていても、なお「言葉も理解できない犬になぜ手をあげてはいけないのか?」と疑問が湧く

 

服従させるためには、それしか方法が無いのに、なぜ使ってはいけないのか?」と思う

 

だから、暴力の連鎖は止まらない

 

自分が犬だった時期が無ければ、相手を犬として扱うことは無い

 

自分が犬だった時期が間違えていたと気が付くのは、師と仰いでいた人や自分のその時期を否定する事になる気がするのでなかなか難しい

 

やり方が間違えていただけで、それ以外の事を切り離せればいいのかもしれないが、例えば暴力を奮うは母を「母のやり方は間違えていたが愛情は人一倍あった」なんてそんな成熟した考えに至るのは難しいと思う

 

子供に暴力的に接しない人には、暴力というツールが人間関係において存在しない

 

根本的に違う人間関係を構築している人だと気が付こう

 

頭をコツンとしたりするのとは違った、自分の怒りに任せた行動に注意しよう

 

赤ちゃんでも、意思疎通出来ると私は思うので、赤ちゃんから人間として扱えるような並列の人間関係を築こう

 

なんて思う

 

お腹の中にいる時から、子供だって意志を持っている

 

意思疎通が出来無いのは、赤ちゃんの意志を読み取るツールの無い大人の問題かもしれない

 

頭に来て殴るのは「癖」だし、それが必要だと感じている限り治ることなんて無い

 

 

 

自己愛性人格障害者が優しくなっても…

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自己愛性人格障害者は表面的な事が気になるので、自分より力のある人から「パワハラ的な事は良くないよね」とか言われたり、ターゲットが逃げようとして引き止めたりする為に「もうこんな事は絶対にしない」と言ったりした後はパワハラやDVやストーカー等をやめる

 

心を入れ替えて、人間が変わったように優しくなったりする

 

それは本当に心を入れ替えたように見えることもある

 

そもそも、ターゲットと自己愛性人格障害者との間には信頼関係がある

 

自己愛性人格障害者はパワハラさえなければ、DVさえしなければ、とても優しい優れた魅力のある人だったりする

 

でも、自己愛性人格障害者がパワハラやDVをやめることなんて出来ない

 

しかもターゲットとはパワハラやDVをするためだけに飼いならした子犬の様な存在だ

 

居なくなっては困るし、それ以外の使いみち

は無い

 

自己愛性人格障害者がパワハラやDVをやめることは自己愛性人格障害者がこの世に生きていくためには空気の様に必要な事

 

だから、一時的にその行為が止んだとしても、生きていくためにターゲットがいる限りパワハラもDVもせずにそこにいる事は出来ない

 

しかも、やめていた期間分の怒りや劣等感から来るイライラは溜まったままだ

いつ爆発するかも分からない状況で煮え滾っている

 

別に怒りがなくなったのではなく、我慢しているだけ

 

ターゲットは信頼関係もあるので、この怒りをぶつける行為が無くなれば最高だし、心を入れ替えたと信じたい

 

だから、信じて近くにいる

 

ある日突然、その怒りが爆発し、前の様に戻ったときには、やっぱりと思うのだが、逃げられない

 

何度も信じて何度も裏切られ、その怒りはターゲットのせいにされて、心が折れるという事を繰り返し、心を壊していく

 

自己愛性人格障害者のDVやパワハラが止むことは無い

 

カウンセリングを受けてもどうなるか分からないのだから、素人のターゲットが何とか出来るものでは無い

 

優しさに限度が無い静かなうちに逃げた方がいいに決まってる

辛い事が無いと幸せになれない

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皆、幸せを願っている

 

でも多分、辛い事が無いと幸せって感じられない

 

足を骨折して初めて足があって歩ける有り難さに気が付く

 

自由を奪われてこそ、自由である事の幸せを噛みしめる

 

だから、人生でどん底まで落ちてから前を向いた人は誰よりも幸せを感じて生きていける

 

そう考えたら、辛い事があったら幸せになる為の切符を手に入れた証なのかもしれない

 

そう考えたら、自分に辛い経験をさせた加害者は、切符をくれた人なのかもしれない

 

どんなに酷い奴でも、自分が幸せになる為に何かを気付かせてくれた人なのかもしれない

 

だからこそ、辛い経験をした人はいつも笑顔で魅力的だし、幸せをしっかり掴んでいる気がするのかもしれない

 

今の日本は、物に満ち溢れている

辛い経験なんて、回避できる事ばかりだ

不自由も無い

 

だから、物がある事の幸せも何も感じられない

当たり前の生活が、どんなに幸せな事か気が付く事は無い

 

辛い経験から逃げてばかりいると、本当の幸せは手に入らない

 

自己愛性人格障害者は、人の自由や心の豊かさを奪う

 

だから、被害者が被害者ではなくなり前を向いた時、自由や心の豊かさの意味を改めて感じる事ができるのかもしれない

 

自己愛性人格障害者は、幸せの切符を人にあげてばかりで、自分がその切符を受け取ることは出来ない

 

きっと、幸せの切符を配ってばかりの人には、幸せはいつまで経っても手に入れられないのかもしれない

 

アスペルガーは男性より女性の方が本人はしんどい

f:id:pilatesno-1:20210212084350j:plainアスペルガーは、IQが高いが共感したりコミュニケーションが苦手な自閉症スペクトラム

 

男性が圧倒的に多いといわれている

 

でも、私は女性だからだろうか?

同性で、あれって思う人も多い

 

男性は、コミュニケーション能力がイマイチでも頭が良くて、研究職などに付けばあまり苦労せず生きていくことが出来る人もいる

 

IQの高い人はMENSAなどでも男性は比較的楽しくやっている

 

男性は、ちょっと変わっていてもマイペースに楽しく生きていける

 

もちろん、コミュニケーションがどのくらい取れるかによるけれど、相当コミュニケーションが取りにくくても、結婚したりしなければ困らない

 

でも、女の子はどうだろう?

 

女の子はそもそも小学生になればとにかく共感性を求めて友達を作る

 

「あの子嫌じゃない?」に「そうね」と共感してくれる友達を探す

 

アスペルガーは共感性が欠如している

 

男の子なら、電車が好きな子が集まって、皆で違う電車を持ってまちまちに遊んでいても違和感が無いけれど、女の子は同じ物についてお喋りしたい

 

だから、同じ物についてお喋り出来ない子はそのグループから外される 

 

友達は自ずと出来にくい

 

グループから外されたり、いじめられたりする事も多い

 

男の子なら「あいつ勉強出来るけど変わってるよな」で済むけど、女の子は「あの子勉強出来るからって偉そうで尺に触るよね」となる

 

男の子となら一緒にいれたりすると、男の子と仲のいい自閉症スペクトラムの女の子は、モテるわけではないかもしれないけれど、ますます女の子から嫌われる

 

学校も疲れるし、排除される事も多いから、勉強できるのに不登校は、男の子より多いのではないかと思う

 

もちろん、コミュニケーションの出来る出来ないは人それぞれ

 

軽い自閉症スペクトラムだと、自分も他人も分からないので本当に厳しい

 

ところで、アスペルガーなどの自閉症スペクトラムの人の物の捉え方は、普通の人とは全く違う

 

そもそも見えている場所が違う

 

人は目に入った物全てを覚えている事は出来ない

 

でも、自閉症スペクトラムの人は目に入った全ての物を写真の様に憶えていたりする人も多い

 

そうなると、ビデオを巻き戻す様に記憶の引出しを開ける

 

普通はいらない物は曖昧になってしまうけれど、曖昧という観念が無かったりする

 

逆に、ある物が見えなかったりする

 

ゴミが置いてあってもゴミに興味がないならゴミは見えていないし捉えられない事がある

 

見えてないのだから、片付けが出来なくて当然といえば当然だけど、私なんかからしたら全く理解できない

 

人の感情も、顔の表情で読み取るのが当然だと誰もが思っているかもしれないが、歩き方や立方やオーラなどから読み取っている人もいる

 

もしそうなら、顔の表情を見ても何も読み取れない

 

顔を見て話をする必要などないかもしれない

 

もちろん「あの先生ご機嫌だったよね、笑ってたし」って言われても、オーラや他から読み取れば本当は怒ってたけど顔は笑っていたって思う人だっている

 

それが、全くの見込み違いなら話は別だけど、アスペルガー等は頭が良いし、得意なところの感や読み取りは鋭いから、本人は自分は間違えていないと思うだろう

実際、かなり鋭い所をついてきたりする

 

自分が正しいのに共感なんか出来ない

 

「私達って一緒よね〜」って女の子の中にいるのは、地獄だと思う

 

女の子は、コミュニケーションが全く出来ないって状態のアスペルガーは少ない

 

でも、コミュニケーションは何となくできなくも無いけどって人は一定数いる 

 

IQが低ければ、全体的にのんびりした出来ない子かもしれないけれど、IQが高いと人より出来るかなりマイペースな人として、周りと馴染めず、女の子だからこそしんどいと思う

 

私はその物の捉え方の特殊性が面白いしかなり興味があるけど、近くにいたらやっぱりしんどい

 

本人も周りも共感出来ないし、自分が当たり前と思っているからこそ悩む

 

私は専門家では無いので、細かいことは分からないけど、皆普通が大好きな日本では、女の子の方が男の子より軽度の自閉症スペクトラムでも、かなり状況は深刻なんだと思う

 

いいところを活かして、もっと楽しく生きていけると良いのになあ

自閉症スペクトラムだよね

自閉症スペクトラム

今はそんな名前が付いている

昔はなんだか分からない違和感のある子は、クラスに何人かいたものだ

私も就職してはじめの頃にそうだろうなと思う人に会った

彼女は大学院卒だった

就職3日目の朝、私と彼女は領収書をスクラップしてと指示を受けた

大量の領収書をのりでスクラップブックに貼る作業

急がないと、到底終わりそうに無かった

早速二人で作業に取り掛かる

私が1冊目が終わった頃、彼女が私に「見て〜とてもキレイに出来た!」と言った

その領収書は、日にち順ではなく、大きさ順に、端から階段の様にキレイに並べられていた 貼ってはいない

その時間で彼女が終えたのはその1ページに領収書を置いただけ

唖然とした

「日にち順で上から見やすいようにこうやって貼るんだよ」と教えたものの、もうどう教えたらいいのかも分からない位愕然としていた

彼女は、翌日から会社には来なかった

どんな仕事が彼女に向いているのか?とその時も凄く考えたのを覚えている

今までは「天然ボケ」くらいの評価で生きてこれたと思うが、社会に出たら難しそう

ましてや結婚したら、旦那さんは「かわいいね」だけじゃ済まされない

大変だなと思う

全く違うフィルターを持っているのは、本人も大変だろうがとにかく周りが辛い

人格障害だろうが自閉症スペクトラムだろうが、本人に当たってもしょうがないので周りは振り回されながら心を壊して対応する

ほんと、やり場が無いだけに疲れると思う