心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者を「嫌い!」って気持ちの中身

f:id:pilatesno-1:20210209090919j:plain「嫌い!」って誰かに対して思う時って、「もう生理的にイヤ!」っていうのと、「なんか苦手かも」っていうのがある

 

「生理的にイヤ!」なのは、自分から距離を取ろうと思うし、どうしても距離を取れない場合でもその人に心は開かない

   

でも、「なんか苦手かも」はそう思いながらも距離が縮まっちゃう事がある

 

しかも、「なんか苦手かも」の理由がわからないと気になっちゃったりする

 

特に私は突き詰めちゃうので、理由を探してしまう

 

もっと感覚で「嫌い」「好き」の区別をつけている人なら、近づかないんだけど、そうじゃないから、何だかジーっと観察してしまうのだ

 

しかも、私の中で「なんか苦手」と思う人は大抵損得勝ち負けの価値観で動く人

 

何だかとっても魅力的に見える一面があったりするので人気もあったり、お金も持っていたりする

 

ちょっと羨ましくて妬ましいから苦手なのかな?って勘違いしてしまう事もあって、そうでは無く考え方が苦手なのだと確信を持つまでに時間がかかる

 

おまけに、その人の魅力が消える訳ではないから、見かければ常に「やっぱり価値観が苦手だ!」と思い続けないといけない

 

案外力がいるなと思う

 

有名人でもそんな人はいる

いつかそれっぽいエピソードが出てくるけれど、それでも成功体験ばかりをアピールするその姿に違和感を感じながら羨ましいのと苦手とが入り交じる

 

「羨ましいの?嫌いなの?」ってのは自己愛性人格障害者に対しては本当に微妙だなあと思う

 

「嫌い」って、そもそもそんなに割り切れないもの

 

だからこそ、ずっと「嫌い」を思い続けるのは、「好き」より気持ちがいるかも

 

力を使うのは馬鹿らしいからその思いを持ち続けるのは、やめて他に力を注ごう!と思えたら楽かもね