心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

頭の中に何がいる?

我が子達は小さい頃から頭の中に小人を飼っている

 

だいたい年齢の倍位の数いるらしい

 

インサイドヘッドのようなイメージかな

 

小人は、早く寝ると一人増える

遅く寝ると一人いなくなる

 

ご飯をちゃんと食べないとお腹が空いたとでかけてしまう

野菜を食べないと、野菜を食べてる他の子のところにいってしまう

野菜を食べると飛び跳ねて喜ぶ

 

朝は寝癖がついてると髪の毛の上で遊びだす

口の中にものが入ってるのにおしゃべりしちゃうと、飛びだしちゃう

キズは寝ている間に直してくれるし、頭の中を整理してくれる

沢山いれば勉強が出来るようになるし、運動も出来るようになる

泣き叫ぶとうるさいから出ていっちゃう

ゲームもやりすぎるとブルーライトにやられてしまう

 

まあ、こんなものだろうか

 

自分の為に嫌いな物を食べるのは嫌だけど、小人がお外に出ていっちゃ困るからというと食べられる

小人のお陰で頑張れる

頭の中に小人が沢山いて欲しいから、居心地のいい環境を作ってあげているのだ

 

私もだいぶこの小人達に助けてもらっている

小人達のお陰で、ギャーギャー言わなくて済んでいる

 

そして、私の中にもたまに現れる

 

大人の小人は出ていかないけど、だんだん疲れて死んでいく

大人だって頭の中の小人達に感謝して、大事に育ててみるのもいいかもしれません

インスタ映えに頼る心

もう「インスタ映え」という言葉が定着してだいぶ経つ

 

何か事件があると、流出しているその人の個人情報の量に驚かされる

 

この「インスタ映え」は他者承認のツールとして手軽で最高のものではないかと思う

 

だから、インスタ映えに頼って自分を維持している人は沢山いる

 

インスタに載せる写真をきれいにとって自分の生活が素敵である事をアピールする

皆がコメントをくれたり「素敵!」と言ってくれることで、自分の評価を確認する

 

あくまで、他者評価

 

これは、もっと素敵な人が近くにいれば負けたと思うし、もっと素敵に見えるように一生懸命生活を繕う

人を確認して妬む気持ちも湧いてくる

 

いい面だけを出して、作ればいい

本当の生活じゃなくたって構わない

見栄えが良ければいい

 

そして、見栄えの評価が出来上がる

中身は確実に伴わなくなってくる

 

常に書いているが、他者評価を充実させても自己評価をあげない限り一生幸せは掴めない

だから、インスタ映えを追求する限り、それだけでは幸せにはなれない

 

インスタ映えに頼らざる負えない自分への信用の無さに気がついたほうがいい

 

自分の情報を流出させて、他者評価を懸命に上げようとしている人達を見る度に、心が叫んでいるようで気の毒だ

 

あんまり近づきたくないなと思いながら遠目に見ておきたい

本音で話すと人間関係は良くなる

人間関係が悪くなる原因は、相手に対する不信感だろう

 

「きっと彼は私の事を好きではない」とか、「あの人は陰で悪口を言っているんじゃないか」とか「自分の事を無視してるんじゃないか」なんて思うと相手に対して不信感が湧いてくる

 

すると、他の事も気になる

 

大抵は、その事を言わず人は離れて行くのかもしれない

 

でも、そこで「どう思ってるの!」と相手に言えたなら、もしかしたら完全な誤解であることもあるだろう

 

誤解なら、話せば解決出来る

 

そして、本当に嫌だと思っている場合はというと「嫌いだから嫌がらせをした」なんて漠然とでは無くて、その嫌いになった理由まで話せたなら、ちょっと違った結果になる場合もあるかもしれない

 

例えば「負けたのが悔しくて思わず嫌がらせをしてしまった」と言ったなら、その時は「うわっ、嫌なやつだ!」と思うかもしれない

そして、「気分が悪い!」と言えたなら…

 

もちろん、嫌がらせをした理由は充分理解が出来る

そして、何より負けは認めている

そうなると、まあその嫌がらせの度合にもよりけりだろうが、時間が経てば案外許せたりするものなんだ

 

本音が見えてきてお互いに言い合えれば、いい事でも悪い事でもそこに信頼関係が生まれる

そして、実はいい事ばかりよりも悪い事で出来る信頼関係は強い

 

だって、普通はいい顔しか表には出てこないものだから

 

だから、親子や兄弟は喧嘩をして言い合えば言い合うほど信頼関係が生まれるし、学生の頃の喧嘩しても仲直りして来た友達は、何かあっても信頼関係が崩れない

 

もちろん本音を言える相手かどうかは人それぞれ違う

 

ただ、今よりも本音を言えたなら、もっと人間関係もシンプルになって、良くなるのかもしれない

 

相手が自分の事を嫌っているのではなく、自分が相手の事を嫌いで、その理由を相手のせいにしているだけかも

 

まあ、どちらにしろ人を嫌いな理由は自分にしかない

自分の認めたくないところだったり、頑張ったところだったり、勝てない自分だったり…

 

結局、本音で付き合える人は、楽だし強い

信頼関係を築く事が出来る人だろう

きっと輝いてるに違いない!

頑張るって楽しい

頑張ることって辛い事だと思っていませんか?

そう思う人は、頑張っていないけど、本当は頑張ったほうがいいなと思っている人です

 


頑張っていない事は、別に悪い事じゃない

頑張っていないって事は頑張る必要が無いって事

頑張る必要が無いって、なんて幸せな事!

頑張らなくても、今の自分でいいって事なんだって思えてるって事

 


本当だったら…

 


でも、頑張って無いけど、頑張らなきゃいけないって思ってる場合は、今の自分にどこか不満があるのかもしれない

でもやっぱり、頑張るのって辛いから嫌だなって思ってる

 

実は、頑張るのって楽しい事なんです

やらなきゃいけないって思って頑張る人と、やりたくて頑張る人がいます

 

やらなきゃいけないって思って頑張るのは、かなり大変です

辛い努力です

だから、頑張ってない人を見ると頭にくるし許せない


一方でやりたくて頑張る人は、楽しくて仕方がないのです

 


出来る自分を信じると、今まで辛いと思ってた事がどんどん楽しくなるんです

それは、勉強でも仕事でも運動でも一緒です

 

やりたくて頑張ってる人は、頑張れない人が周りにいても、イライラしないし、自分のように楽しい事も分かってもらいたいから、人の頑張りを応援出来るようになる

 


妬んだり僻んだりしなくても心が踊るようなワクワクを持ちながら、何だって頑張れるようになる

 


一度頑張れる方法が分かれば何でも頑張れるようになる

 


頑張れる世界の人になれる

 


今までキラキラ輝いていた人を見るだけだったかもしれませんが、自分が輝けるかもしれません

なんて、今日のめざせNO.1で思いました

 

親子で運動プログラム「めざせNO.1」

 

https://mezase-no123pilates.jimdo.com/

自己愛性人格障害的な嫌がらせ

自己愛性人格障害者の嫌がらせや攻撃は似たりよったり

 

まず、直接本人に文句を言うことは少ない

本人がターゲットに対してバカだとか、嫌なやつだなんて言わない

 

言うとしても、持ってるものがダサいとか、趣味が悪いとか、似合ってないとか…

 

その人の好みをバカにする事が多い

好きなものから崩していきます

大きな声で周りにも分かるように言って自分がスタンダードだとアピールします

 

そこにいた人が全て自分の意見に賛同したものとします

 

これを繰り返す事で、ターゲットが変だというイメージを作るのです

 

次に、持ち物を少し動かしたり、隠したりします

誰がやったか分からない嫌がらせです

これで、ターゲットを疑心暗鬼にさせます

 

周りの誰もが敵に見えるように仕組みます

こうして、ターゲットを孤立させるのです

 

ほんと、困っちゃう!

こんな事をしょっちゅうやられる場合には、抜け出よう!

妬まれないくらい突き抜ける事が大切です

 

みんながみんなでないことを知ることです

そして、同じ土俵に立たずに放って置くことです

負け犬の遠吠えですから、頭にくるだけ損です

可愛そうだなと思いましょう!

 

 

中身と外側が一致しないのはしんどい

中身と見た目が違うと聞いて、頭に浮かぶのは、トランスジェンダーとかかな

心が男の子で見た目が女の子とかは分かりやすい

 

でも、そんなのじゃなくて、物凄い早く心を成長させた子とかもそうだと思う

小学校に、お婆ちゃんが通うのって、想像してみてもしんどい

 

まだ、見た目がお婆ちゃんで中身もお婆ちゃんならなんとかなるけど、見た目が子供なのに中身がお婆ちゃんは、周りは赤ちゃんのような話をしているように見えるだろう

 

どちらも、本人が辛い

 

そして、自己愛性人格障害者も中身は空っぽ、外側は生活が充実した何でも出来るセレブだったりする

 

これも辛い

 

結局、外側と中身が違う場合は、どんな場合でも本人は辛いのだ

周りだって受け止めるには大変だと思う

特に近くにいる人間ほど大変なのかもしれない

親のお願いを断る力

親からお願い事をされた時に断る事が出来ますか?

もちろん逆の子供からお願いされた時に断る事が出来ますか?

 

少しの事ならやってあげても良いけど、どうしてもやりたくない事とか自分の家族を守るために断らなきゃいけないこととかあったりします

 

でも、結構そういう時の親って押し付けがましい

 

今まで育ててやったじゃない!とか

あなたを育てるときに苦労したのよ!とか

親不孝者!なんて言われたら、断る自分が悪者のような気分になります

 

でも、親の言うことだからって必ず聞かないといけないわけではありません

 

子供は親の支配下にあるものではありません

 

もしお金の無心をして来たとして、貸してくれないと死んでしまうと言われたとしても、死んでしまっても構わないと思い貸さないという選択が取れるか?と考えた事はありますか?

 

まあ、そんな状況に置かれる人はなかなかいませんが、もしそんな状況に置かれたとしてそれを断るためには、自分が自立している事と自分の心を支えてくれる人が必要になります

 

自立する事は自分の力で出来ますが、支えてくれる人は他人の方が楽です

支えてくれる人がいない場合は支えてくれる人の役割も自分でやる事が必要になります

 

本当は、子供はどんな親でも大好きです

だからこそ、断るのは辛いのです

断る辛さを親は知っています

それを利用して、お願いという形で言うことを聞かせるのです

 

そういう場合は、お願いではありません

 

相手が自立するためにも支えてはいけないのです

どんなに甘い言葉を言われても、言葉はただです

言葉の見返りは程々にしましょう

 

自分を大切に出来ないお願いは親子でもお友達でもお付き合いでも何でも断ることができる自分でいましょう

それで嫌いになる関係であれば、それまでの関係だと気が付きましょう

 

自分に正直にいても、受け入れてくれる人はいます

 

親に嫌われても、自分を好きでいれるようにしてあげて下さい