心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

夫が病気や怪我をして困るのは妻と子供


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子供がいる家庭で世帯主である夫が病気や怪我で仕事が出来なくなった時、妻は子供達を一人で育てて生きていく覚悟を決める

 

その不安は計り知れないけれど、女性は結構現実的に覚悟を決めて切り替える

 

そんな場合、先にいなくなるであろう夫のメンタルは実はそんなに強くない

 

自分が先にいなくなるであろう事を余命宣告されたってあまりその後の事を考えてはいない

 

これは、先が不安な妻にとっては大きな不安要素

   

いなくなっちゃう人は、その後の大変さなんて知ったこっちゃ無いのかもしれないし、死や自分が色々な事か出来なくなるのを直視するのはプライドもあるししんどいかもしれないが、それでもやっぱり自分の身の振り方を考えないのは妻に優しくはない

 

男性って女性よりも命に対する覚悟が決まらないイメージで、余命宣告された時の行動が女性よりも死に向かわない

 

女性は自分が死ぬまでに、自分がやりたいことをやったり周囲が困らないような術を子供や配偶者に教えたりメモや映像に留めたりするけれど、男性はどちらかというと今までの生活を維持しようとする

 

何でなんだろう?

 

自分自身を直視出来ないので現状把握が出来ない

 

自分の有事にはめっぽう弱い

 

逆にいえば平時には強いかな?

 

これが命を掛けたコロナ禍に置いての日本が上手く機能しない原因だったりしないのかな?なんても思う

 

男性社会が女性を受け入れないがための弊害なのかななんて感じている

 

バランスのとれた国や発言が男女平等である国は、命が掛かるような有事に対してこのちょっぴり違った考え方の男女の意見が上手く反映されて、すばやい対策が取れるのかもしれないです

 

素敵ですね~

 

話しは戻して…

 

夫に何かが起きた時、夫の母である義母に夫の話をするとなぜだか義母が憔悴してしまうって事は多い

 

大変なのは義母ではなく妻と子供でしょ!って思ってしまう

 

そして「息子と代わってあげたい!」とか「何もしてあげられなくてごめんね」とか「迷惑かけてごめんね」とか「様子を見に行けなくてごめんね」なんて嫁に言うのは嫁としてはたまらない

 

代わってあげたいなんて大きな大人に、しかも本人ではなく嫁に言うのってなんだろう?

 

コロナ禍で家族の面会も難しい状態なのに出来ない事ばかり言うのってなんなんだろう?

 

手伝う気力どころか自分一人で立っていることが出来ない位憔悴している義母からの「助けたい気持ちはある」って言葉が嫁には額面通り受け取れないと気がついてほしい

 

そんな状況で誰かを迷惑だと思う事もないだろうに、義母さんからの「ごめんね」とかもなんだか意味が分からない

 

きっと夫からの「ありがとう」が一番うれしいのかなって思う

 

そもちろん義母さんが色々と一人で思っている分には構わないが、嫁に言うのってなんだろう?

 

共感を求める相手がちょっぴり違うかも

 

憔悴している義母に対して一番不安な嫁が励ましの声を掛けてあげなきゃいけないのってなんなんだろう?

 

 

なんて話が周囲で話題になりました

 

ここで大変なのは残される妻と子供

 

何もしてあげれないと言うのなら、元気でいてくださいなと言いたいよねと

 

覚悟を決めたからって、妻の心に押し寄せる不安が小さくなることなんてないので、そっと見守ってて下さいって思うよねって…

 

 

 

誰もが、きっと色々な事に頑張ってます

 

なので、自分の心の不安を他人に投げつけたり押し付けるのはやめた方がいいなと思います

 

まずは自分を一番に考えて、自分の出来る範囲でやれることを一人ひとりがすれば、病気になろうと事故に合おうと、自分も周囲も悔いなく楽しく生活出来るのかなと思います

 

コロナ禍に置いて自分が出来ることは、きっとまず自分が健康であることなんだと思います

 

楽しく生活しながら栄養をとって適度に動いて免疫力を上げることが、病気やゲガでの医療逼迫をさせないことに繋がるのではないかと思います

 

命に直面した人達が適切な医療を受けられることに繋がるのなら、そんな事でも誰かを助けることになるのかもしれないです

 

無理して何かをやることなんて無いし、ストレスをためながら我慢する必要も無いけれど、出来る事をやらないのもどうかなと…何に対しても思います

 

まずは自分の事をしっかり考えて大切にしてあげたいです!