心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者にモヤモヤする原理は分かるけど…

 


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一人っ子の女の子のママは自己愛性人格障害者的な方は多いなあと感じます

 

頑張る子供をママが応援しているって構図のはずが、いつの間にかママが子供に頑張って欲しいという思いを子供が汲んでくれているって構図になっている

   

気がつくと、親の言うことを聞く子供じゃなくて、親の思いを汲む子供になっている

 

同性の子供は、母親にとっては同化しやすくて自分の夢だか子供の夢だかの区別がつきにくいし、他人の境界線も引ききれない

 

おまけに子供が二人いれば、ふと二人の扱いの違いに気がつく瞬間もあるかもしれないけれど、一人っ子はそのまま大きくなっていくことも多い

 

子供のお友達のママとお話していると、ふと思うんです

 

自己愛性人格障害者的だなあ~と

 

仲良くしていても、そのうち「無理かも?!」って思う事が多いです

 

もしかしたら私が引き寄せているのかもしれません

 

そんな時は私自身も自己愛性人格障害者的な考え方に片寄っているのかもしれませんが、それにしても…モヤモヤ

 

子供が頑張ってるのはどんな状態でも親にとっては嬉しいし、競争心に火をつけたくなる気持ちも分からなくない

 

やる気スイッチがあるのならと思って、けしかけてしまう気持ちもなんとなく分かるし、「誰かみたいに頑張って欲しい!」と具体的に目標を持つことも悪くない

 

でも、なんだろう?

 

あのモヤモヤした気持ち

 

他人に「簡単!」とか「抜かせる」とか「大したことないんじゃない」って思われるのって気分が良くない

 

そんな風に他人を思うのって悲しい

 

そうだ!だからこそ、あんまり自分を謙遜しすぎて話してはいけないのかもしれない

 

自分や我が子を「凄いでしょ!」って言う必要もないけれど、「凄くないでしょ!」って言う必要もないのだ

どちらも言っているつもりはないけど…もっともっと自己肯定感を持って、自分も我が子も愛してあげないといけないのかもしれないな

 

確かに私も我が子も「簡単!」って思われているのかもしれないが、それは自由なんだ

 

「簡単」とか「抜かせる」とか「大したことがない」と思われていても、別にそれが現実かどうかなんて分からない

 

相手から、そんな気配を感じても、そこに共感して自分がダメになるわけじゃない!

 

真似出来ても、所詮真似

 

たぶん、どこかでそう思えない自分がいて、相手にそんな気配がすると、嫌になる

 

誰かに対して「大したことがない!」って言動を聞くと残念に思う

 

相手が思っている事なんて自由だし、バカにされても放って置けばいいのだけれど、やっぱりモヤモヤする

 

分かるけど、モヤモヤする

 

どんなに劣っているように見えても、それが劣っているかなんて分からない

 

価値観なんて人それぞれだし、もしかしたら沢山の物を持っている事の方が不幸かもしれない

 

だから、自分にも他人にも全てを尊敬して生きていきたい

 

言動は残念と感じるかもしれないけれど、自己愛性人格障害者だって頑張っている形かもしれない

 

表現の仕方が違っても、それが嫌なのかなんて分からない

 

不機嫌でも好きかもしれないし、怒っていても愛しているかもしれない

 

モヤモヤは、もしかしたら自分の思いやこうであるべきに反して受け入れなきゃいけないのかも?!って思いなのかもしれない

 

まっ、バカにされるのはゴメンだけど、それを放って置けない私自身にもそろそろサヨウナラを言わなきゃいけないのかもな

 

きれいごとばかりではないけれど、少々無視して動いてみましょうか!!