心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

コミュニケーションをとるのは本当に難しい

 


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「他人とコミュニケーションをとる」って、意思疎通を図ること

 

話を聞いたり、しゃべったり、いつもしていると思っている事だけど、もしかしたら今の世の中ちゃんとコミュニケーションをとっている人ってそれほど多くないのかもしれないです

   

昔だったら「腹を割って話す」とかいうのかな?そこまでじゃなくてもいいんです

 

お互いに「え?」って思った疑問をちゃんと解決しながら話し合う事をしない時代になっているのかもしれない

 

家族も友達も同僚も知り合いも、皆、当たり障り無く、イライラしない程度にそっと表面を撫でるようなコミュニケーションをとっているのかもしれない

 

撫でてみてトゲがあったら避けて、毒がありそうなら逃げるのかもしれない

 

誰もそのトゲが邪魔だ!とかその毒は持っていてはしんどいよ!と言ってくれる事も無いから、どんどんとトゲは大きくなるし、気がつけば誰も手がつけられない

 

皆、いつかそのトゲを抜いてくれる人が現れるのを待って、その人の近くになんとなくいるいるのかも

 

家族だから、同僚だから、友達だから

 

お互いに見て見ぬふりなのかも

 

簡単に「歩み寄る」とかいうけれど、歩み寄るのは実はとっても難しい

 

特に頑固な人はビクとも動かない

 

元々の性格もあるけれど、人は自信が無くなると頑固になる、年をとると融通も効かなくなる

 

そんな人のトゲは、近づくのも難しい

 

でも、たぶん近づくのも難しいほど大きくしてしまった周囲にも責任はあるのだ

 

「コミュニケーションをとる」なんて簡単に言うけれど、ずっと避けていた事を相手に伝える事は難しい

 

ずっと放っとかれていた甘えを突然「甘えだからやめてくれ!」って言われても受け入れる事なんて出来ない

 

だから、まともに正面から大きなトゲを抜きにかかると、決裂するのかもしれない

 

じゃあ、どうすればいいのかな?

 

それが、たぶんコミュニケーション

 

私の今の大きな課題です

 

きっと、今まで放って置いた周囲が、そのトゲをまあるくするしかないんだと思います

 

それがどんなにお互いに受け入れがたい事実だとしても、同じ方向を向いている事を信じることが出来れば、いつか触ってもお互いに傷つけ合わないトゲになるかもしれないと思うのです

 

大喧嘩したとしても、動けばいいんだと思います

相手が思いとは裏腹な行動をとったとしても、自分がしたくない事はしないようにしたいです

 

本当は近くにいたいのなら、「近くにいたい」と言うべきで「ここがうまく行かないなら一緒にいれない!」なんて言うべきではないんです

 

売り言葉に買い言葉はコミュニケーションじゃ無いんです

 

メディアに時間を取られてしまう今の時代は、人との関係が希薄になって、そんな時間も少なくなってしまったのかもしれません

 

皆がトゲをどんどんと大きくさせて、随分とわがままな大人が増えたなと思います

 

コミュニケーションを取らない今の社会がギスギスしているのは、こんなトゲを発達させた人達が増えたからかもしれないです

 

自分の周りだけでも、きちんとコミュニケーションがとれるようになりたいです

 

私のトゲも、誰かに小さくしてもらえるように信じた人の言葉を聞ける耳を持ちたいなと思いますが…

 

難しい!!